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海外に10年在住後帰国。2020年に男の子のたーくんを養子に迎えました。子育てと普段の生活を面白おかしくつづります。
チェコでのテレビ生活
2008年08月11日 (月) | 編集 |
日本では、お盆休み真っ盛りで大型連休を取っておられる方も多いと思いますが、ここ韓国はそんなの全く関係ねーでございます。強いて言えば、15日には韓国の独立記念日がありまして、土日とあわせて3連休。まぁ、公募の嵐の真っ只中にいますので、やはり関係ねーでございますが(しょぼ)。いやいや、1日ぐらいはプールに行ってやるぞー(いかり)

そんな公募だらけの日々を送っておりますが、今日は4つほど公募書類を書き終えました。なんか最近は研究しているというよりは

公募書類を書いている合間に研究

といった具合。研究も進めないとやう”ぁいんですが、なかなか進まず困っております。


そういや今はオリンピック真っ只中でありますが、これまたテレビがないうちは関係ありません。前回のアテネオリンピックもバルカン半島旅行中で、全くと言っていいほど見ませんでした。おいらって海外ではテレビはほとんど見なかったんですよねー。

チェコにいる時は、寮みたいなところに住んでいて部屋にテレビがありませんでした。もちろん買うことはできましたが、当時月給6万円ぐらいだったので(現在のチェコの平均給与は当時の1.5倍ぐらい。またチェココルナも強くなったために、現在の平均給与は17万円ぐらいに相当)、テレビなんて高嶺の花。まさに、3種の神器です。頑張ってCDラジカセを買ったのがせいぜいでした。

そんなだったので、寮にあるただ1つの共用テレビをたまに見ていました。このテレビは1階においてあり、おいらの部屋は3階だったので、本当にたまにしか行きませんでした。格段に面白いテレビ番組があるわけでもありませんでしたしねー。ある時、同じ寮に住んでいる日本人の友達が「プロジェクトX」のビデオを日本から送ってもらったというので、下のテレビルームで見ることになりました。すると、既にテレビを見ているロシア人がいました。仕方ないので待つことにしました。

その時流れていたのは、ドラマか映画だったと思いますが、なかなか終りません。チェコ語への完全吹き替えだったので内容もわからず。そのうちにしびれをきらし悪態つき始めるわれわれ(ひょえ)

ま:「早く終ってくれよ~」


友人F:「それ面白いか~?」

相手が日本語を分からないのをいいことに言いたい放題。超マナーの悪い日本人になってしまいました(ひょえ)。もし、相手が日本語が分かっていたら、多分モルダウ川辺りに流されていると思いますけどね(ひょえ)

そんな雰囲気を察したのかそのロシア人は出て行きました。

ま:「んじゃ、ドアにZavreno(閉まってます)とでも貼っておくか(ひょえ)」

と最後まで悪態をついたのでした(ひょえ)

まぁ、今となっては懐かしい思い出です(むふ)←無理やりきれいにまとめる人


別のある時には、やはりプロジェクトXを見ていたのですが、ルーマニア人が入ってきました。多分興味ないだろうからすぐに出て行くかなと思ったら、隣で興味津々に見始めました。

ルーマニア人:「ねえねえ、これって何の番組なの?」

結局おいらはそのビデオが流れている間ずっと英語で説明をさせられる羽目になったのでした(ひょえ)。当時は英語がかなり駄目だったので、すんごくしんどかったですが、いい勉強になりましたかね(ひょえ)


明日辺りはフィンランドのテレビ生活について書いてみるかな(ひょえ)(それ)

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プラハが好きな理由16
2007年11月06日 (火) | 編集 |
この前、フィンランドでのセミナーの様子を書きましたが、今日はチェコでの様子を書いてみようと思います(むふ)

セミナーは大雑把に二つ、外から人を呼んで(もしくはビジターに)話してもらうセミナーと研究所のグループ内のセミナー。

外から人を呼ぶ場合は、チェコ人でない場合はもちろん英語、チェコ人のときはデフォルトでチェコ語になります(げー)。後者の場合は、参加しても細かいことは分からんので、本当に興味がない場合はスキップするか、前もって英語でやった貰うように頼んでいました(ひょえ)

グループ内セミナーは、新しい文献を紹介したり、自分のその時書いた論文を紹介したりします(まじ)

チェコ滞在の最初の頃は、主に自分の仕事を紹介するというものでしたが、それほど頻度は多くなかったし(2ヶ月に一回とか)、あんまりアクティブなセミナーとは言えませんでした(しょぼ)

そんなんで、滞在1年を過ぎたぐらいから

ま:「毎週、文献を紹介するようにしましょう(いかり)」

と私が提案して、新たなるグループセミナーをスタートした訳です(むふ)

形式としては、気になる論文を持ち寄ってどういう内容のものか簡単に紹介しあいましょ、ってものでした。

だけど、あんまチェコ人やってくれねー(ひょえ)

始まってみれば、発表するのはほぼ毎週私だけな事実(ひょえ)

おまけに、論文書いて出すとそのセミナーをやってくれとか言われるしさー(わーん)

なんで、漏ればっかやねーん(わーん)

私これ以外に、

(ほし)3回シリーズの講義
(ほし)他のチェコの大学でのセミナー数回
(ほし)研究所内でのセミナーも数回

ってやりすぎだぉ(ひょえ)

その証拠に、チェコを去るときにチェコ人同僚に言われましたもん(ひょえ)

チェコ人同僚:「いやー、君ほど滞在中にセミナーをやって人はいなかったなー(にや)」

そりゃ、そうでしょうよー(わーん)

ま、練習になったからいいんですけどね(ひょえ)

また、チェコに短期間でも滞在したらやらされるんだろうなあ(ひょえ)(それ)

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プラハが好きな理由15
2007年10月03日 (水) | 編集 |
むっちゃ久しぶりやなー、このコーナー(びっくり)

ネタが無い時に書くという噂もありますが、だんだんチェコの細かいことは忘れつつあるので、その前に記憶にとどめおかねばというのもあります(むふ)

という訳で、今日は、私が働いていたチェコの研究所のボスのお話をしましょう(まじ)

私のボスはチェコの物理業界でもとっても偉い人だったので、普段は私のいる研究所におらず、プラハの街中にある本部にいました。そのおかげで私はその研究所のボスの部屋を間借りできていた訳です。街中の本部の話は以前したので(そのお話についてはこちら)、今日はこの研究所のボスのオフィスについてお話します(まじ)

部屋を与えられた当初は

明かりは部屋と机の裸電球のみ


宛がわれたパソコンはペンティアム75Mhz(当時、もう使い物にはならない機種)

と言う波乱万丈のスタートだった訳ですが、私の願いを聞き入れてくれたボスが、

蛍光灯を導入し

更に

パソコンを当時最新機種に(しかも液晶)アップグレード

しれくれました(むふ)

そんな訳で、英語もチェコ語もろくすっぽできない以外は、研究に集中できそうな環境となった訳です。

そんなある日(まじ)

ぷるるるるる(でんわ) ぷるるるるる(でんわ)

ま:「む、電話だ(あせ)」

当時、とにかく言葉のできない私は電話を取りたくなかったのですが、ボスは普段いないので私が取るしかありません(まじ)

ま:「へろー(まじ)(でんわ)」

電話の相手:「★+△■*+/?」

ま:「へ?(あせ)(でんわ)」

電話の相手:「*@{’&%&(#」

ま:「すいません、チェコ語分かりません」

電話の相手:「”&(#’&・・・(がちゃん)」

ま:「あー(あせ)」


あー、これはきっついわー(あせ)

しかも、先ほども述べたようにボスは偉い人なので、割と電話がかかってくることが多い(あせ)

英語で来ることもありましたが、こちらはしどろもどろになりながら対応することができました(しょぼ)

しかし、人間慣れるもので、ある程度チェコ語を学習して電話を受け続けていると、同じ質問をされていることに気づきました(ぐらさん)

電話の相手:「○○というものですが、教授はおられますか?」

ま:「ここにはいません(まじ)」

電話の相手:「では、今どこにいますか?」

ま:「街中の本部にいます。電話番号は・・・」

というやり取りぐらいはチェコ語で出来るようになりました。

が、このパターンから外れると途端に対応できなくなるので、そういう場合は待ってもらって、隣のチェコ人を呼んできました(ひょえ)


そんな訳で、私はボスへの連絡係りだった訳ですが、電話だけでなく電子メールによるボスへの取次ぎもしておりました(あせ)

というのもうちのボス、あまりに忙しいあまりにほとんどのメールに返事が出来ないのです(あせ)

ある時の、ボスの知り合いからこんなメールが来ました(まじ)

「おい、まーらいおん。彼にメールをしたんだがもう2週間も返事が無いのだ。一体どうなっているか聞いてくれないか?私は非常に怒っている」

なんてメールを受け取って、慌ててボスに電話したことがあります(あせ)

そんな多忙なボスでありましたが、一昨年あたりに要職を引退されて、今は研究所にいることが多くなったようです。

なので、電話で彼を捕まえる確率は増えたのではないでしょうか(ひょえ)(それ)

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プラハが好きな理由14
2007年04月09日 (月) | 編集 |
来週の月曜日いよいよ引越しということで、このお休みの間荷物を詰めているわけですが、2年間住んでいたこともあってやっぱいろいろとあるねー(はず)。特に多いのは

漫画!

まぁ、日本にいないってのになんだろうねこの増え具合は(はず)

皆さんに持ってきていただいているからですね、はい(ひょえ)

どうもありがとうございます(ぺこ)


さて、引越しネタついでに、前回のチェコへの引越し話の続きをしたいと思います(むふ)。まだあったんですよ続きが(はず)。この話どこかで書いたかもしれませんが、もう一度(ひょえ)(それ)

さて、猫のマークの宅急便屋に拒否された荷物は友人宅に引き取られて、日本○運さんに頼んでチェコに輸送してもらうことになりました。空輸ということで少しお金が張りましたが、この辺は致し方ありません。

そしてプラハに到着して1週間ぐらいで届くかなと思いきや

数ヶ月経っても音沙汰無し(ぎょ)

こちらも初の海外生活ですったもんだしていまして、問い合わせする暇もありませんでした(はず)

税関に引っかかるにしてもさすがにこれはおかしいなあと思い、日本の○通さんに電話(ぐらさん)(でんわ)。すぐにはわからないということだったので、調査結果を後でお知らせしてもらうことに(まじ)。私の荷物はどうなっていたかというと・・・

アムステルダムの倉庫に転がっていた!(あくま)

ばかやろー(わーん)

あんなかには電気ジャーも入ってるんだから、早くしろよー(わーん)

ってことで、すぐにこちらに転送してもらうことになりました(あくま)

そして数日後○通から(でんわ)が・・・

○通プラハ支店:「荷物がただいま空港に到着してこれから税関の審査に入ります(ん)」

ま:「あい(うる)」

○通プラハ支店:「それで通関手続き代行料が100ユーロほどかかります(ん)」

ま:「(びっくり)」

ま:「そんな話聞いてねえよ(いかり)。空輸でとっくに着いていないといけないところ、遅れた挙句に手数料ですか!?(いかり)。それぐらい遅れの分をサービスしてーなー(いかり)」

○通プラハ支店:「いやー、そう言われましても(ぎょ)。わかりました、ちょっと検討してみます(うる)」

ま:「頼んますよ(いかり)」

んで、荷物が無事にプラハの家に着いたのはいいものの、税関手数料は此方への連絡は全く無しに

実家に送りつけていた!

まぁ、直前にプラハへ運んでくれって頼んだ知り合いには申し訳ないんですが、この対応はないんじゃないかい(かなし)

届いた箱は結構べこべこに凹んでいて、少し破れて荷物が傷ついているところも(うる)

概ね無事だったから良かったけどさ(うる)

ともあれ電子ジャーが届いたし、これでご飯も簡単に炊けるぞっと(むふ)

む?(あせ)

ジャーのスイッチが入っていないな(あせ)

最初はランプがついて、炊飯モードになったはずだがどうなっとんだ(あれ)

あ!(びっくり)

変圧器の電力が足りなくて、変圧器の方が勝手に落ちたー(わーん)

電気製品は使えるかよく調べてから送りましょうね(かなし)

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プラハが好きな理由13
2007年04月04日 (水) | 編集 |
プラハに赴任したのは2002年の9月だった訳ですが、この時が初めての海外へのお引越しでした(まじ)

もうね、今だから言いますが...

ほんとすみませんでした(わーん)

何がすみませんって、出国できるかどうか本当に危ないぐらい引越しの準備が終わらなくて、最後は友達にすべて丸投げしたって訳よ(かなし)

あぁ、思い出すも悲惨だわ(ぎょ)

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プラハが好きな理由12
2006年11月04日 (土) | 編集 |
先日、プラハで仲の良かった友達F君からめでたい連絡を頂きました。なんと某国立大学の助手に採用されたというのです。彼も分野は違えど、おいらと同じ研究者で、プラハで苦楽をともにした仲であります。そんな仲間からのめでたい知らせ。うれしいじゃありませんか

彼とはプラハ時代、マザンカ(詳細はこちら)という研究者の寮に一緒に住んでいました。彼はおいらより1年早く来ていたということもあって、実に多くのことを助けられたものです。また彼とおいらは同じ寮の同じ階に住んでいたので、よく一緒に飯を作ったり酒を飲んだり、今思い出しても楽しい一時を過ごさせてもらいました

我々ともう一人仲の良い友達がいました。彼は、チェコ政府奨学金の奨学生でカレル大学の学生寮に住んでいるT君でした。彼と初めて会ったのは、おいらの通っていたチェコ語のクラスで、会ったその日にマックに何かを飲みに行ったのをよく覚えています。その後、なんで仲良くなったのかは実は私自身はあまり覚えていないのですが、朝のチェコ語の授業が終わったあとに、バーツラフ通りとナプシーコペ通りの角にあるビルの2階のドーナツ屋さんでコーヒーを飲むのが楽しみだったということは覚えています

おいら含めた3人はよくつるんで遊びました。旅行に行ったり、酒を飲みに行ったり。ちょっとしたことで落ち込んだときなど、よくT君を呼び出して飯に付き合ってもらいました。日本のとあるポストに応募していて、かなり期待していたのですが、それに不採用になったときにいたたまれなくなって彼を呼び出して酒飲みに行ったりとかね。彼とは、よく喫茶店で食べリましたね~。あー、懐かしの「インディゴ」と「モンマルトル」よ(よく行った喫茶店の名前です)。

ともあれ初めての海外生活、苦労はあれどそれなりに楽しくやってこられたのは、チェコ人同僚と彼らの存在は大きかったと思います

彼らとのチェコでの生活は2年余り。その間に、マザンカに一緒に住んでいたF君が日本でポスドクを得て凱旋帰国。そして、おいらも日本に短期ながらポストを得て、T君も奨学生の任期が終わりほぼ同時期に日本に帰国しました

日本に帰国してお互いが落ち着いた頃、3人で集まる機会を得ました。飯を食いながら積もる話、そしてF君宅でNHKでやっていた「ドナウの旅」という番組の録画を見て、プラハの思い出に浸りました。確か、ドイツ文学者の司会者と女性アナウンサーがカレル橋の上に立って「プラハはきれいですね~」とかのたまわっていたと思うのですが

「大してわかんねえ癖に偉そうなこと言ってんじゃねえよ~

と3人で難癖付けまくり。かなり嫌な視聴者なっていましたが、なんだかんだ文句を言いながら番組を楽しんでいました

あれから2年弱。3人出会う機会はおとずれていませんが、みんな元気でやっています

実は来週から4日ほどプラハに出張に行って来ます。出張の合間にプラハで頑張っている友達などに会おうと思っています。前に訪れたときには、T君とよく行ったドーナツ屋さんはなくなっていた気がしました。今度もまた少し変わったプラハを見ることになるのかもしれません

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プラハが好きな理由11
2006年05月19日 (金) | 編集 |
前に、チェコのボスにはとてもお世話になったことを書きましたが、他にもお世話になった同僚はたくさんいます。

特に心の支えになったのは、このブログに何度か出てきて Voita です。

実はこれ本名じゃなくてあだ名みたいな感じです。

本名は Vojtech さん。語尾を「a」にするとチェコ語では女性名詞になりますが、彼は紛れもない男性であります。

しかも、私がチェコ滞在中に60歳を超え、同僚というにはあまりにも年の差があるのであります

そんな彼と仲良くなった理由は....
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