海外脱落組のお気楽物理学者
転出
2014年09月21日 (日) | 編集 |
ずーっとほったらかしでもう誰も来ていないと思うけど^^;

2012年3月をもって海外研究生活を終え、4月から高専で働いておりましたが10月から某地方国立大学で働くことになりました。

あまりにあっさりな転出ニュースですが、そんなにあっさりした話でもなかったりします^^;

長い間大学でやってみたいという思いはずっとありましたし、それに向かって努力していたわけですが思いがけず早く夢をかなえることができました。

詳しい話はブログに書ければ書きたいですが、やる気ゲージは相変わらずあまりないので、気長にお待ちください。

9月いっぱいは今の職場で業務を全うし、10月から新天地で頑張りたいと思います!

日本に帰ろう5
2013年02月25日 (月) | 編集 |
会社からの内定をもらってから1週間もしないうちに、今度は公募先の見学です。

見学先の町に前泊して、次の日の朝から見学をさせてもらいました。

学科長と会って話をしたけど、手応えは正直微妙だった。

海外で研究だけやっていた人は敬遠されるんだなあという雰囲気を感じたが、アピールできるところはアピールしておいた。

そして夕方には公募先を後にして、出張先の大学へと向かった。

そこですぐさま、講義の準備。

面接対策やらなんやらで全然準備が進んでいなくて、必死こいてスライド作った。

その間にも、公募先から面接のお呼びがかかるかどうかで気が気じゃなかった。

公募締め切りから1週間経ったから、そろそろじゃねえ?

いや10日ぐらい普通か?

とか。

そんなことはもうこれまでの公募で何回とも繰り返されてきたことなんだけどさ。


で、結局締め切りから1週間ぐらい経って、面接の通知が来たわけです。

面接は1週間後で、模擬授業と面接。

そこからは模擬授業の準備に専念。

ビデオにとって自分で見てみたり、それを見ながら時間制限内に説明できるように何度も練習したり。

練習回数はたかだか20回ぐらいだと思うけど、完全に時間内に説明できるようになった。




面接前日のことはよく覚えている。

事故を起こした福島第一原発の2号機だかの温度計が壊れて、300度とかとんでもない温度をたたき出したときだ。

面接では私は2番手だったと思う。

最初は模擬授業で、これがまさの時間オーバー。

聴衆が居る時と居ないときでは、やっぱしゃべり方も変わってくるのか、少し時間をオーバーしてしまった。

模擬授業の後はいったん休憩。

休憩では、模擬授業のことを思い出して頭を抱えてしまったが、終わったことは仕方ない。

休憩の後の面接はそれなりに無難にこなして終わり。



すべてが終わった後は、やるだけのことはやったという感覚。

まあ、これで駄目でもいいかなって思えたぐらいだ。

とにかくすっきりしていた。

精根尽き果てたとはまさにこのこと。

帰りのバスの中で、ぐったりして日本滞在の最期の目的地の実家に向かいました。



採用通知を電話でもらったのは、実家について次の日。

とにかく長い道のりだった。

採用って2文字を勝ち取るまで、どれだけの年月と応募数を必要としただろうか。

人生上、ここまで喜んだことってないんじゃないかってぐらい喜んだ。



それで今の職場に来て1年経った。

田舎ではあるけど、やっぱり日本は落ち着くし、お金の心配が今のところそんなにないのが大きい。

日本語も通じるしね(笑

海外暮らしは、家族がいればまた違った選択肢もあったんだと思う。

あいにく(?)家族はできなかったし、結果として日本に帰ることをよりどころにしてしまったというか。

どっちが幸せなことなのか、今になってはわからん。

ともあれ、自分で言うのも何だけど、今の職をとるための努力はよくやったと思う。

今後も、ステップアップを目指すので、努力をし続けることになるけど、あのとき出した瞬間的なパワーが出せるかは、ちょっと怪しいかもw

それぐらい頑張ったと言うことかなと。



なんかまとまりがないけど、1年前にあった就職裏話はここまでw


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日本に帰ろう4
2013年02月23日 (土) | 編集 |
会社の面接によばれたからには、手抜きはできません。

後輩も書類を通してくれたわけだから、通るつもりで面接に臨まないといけない。

その会社についてさらに徹底的に調べて、面接対策をしました。

面接のときの帰国では、他大学で講義をやることになっていたので、その準備もしていました。

今の職場に見学に行くことにもなっていました。

今の職場の前任者が、以前チェコにいた時の友人の知り合いで、その友人経由で連絡を取ったところ、見学にきて欲しいとのことだったので、そちらも行くことになったのです。

会社の面接に、講義に、見学。

そしてその準備でもう何が何だからわからない状況に。



忙しさの中、1月下旬に日本帰国。

帰国してすぐに会社の面接でした。

会社は東京駅のすぐそばの超高層ビルにありました。

ビジネスマンの入り乱れるそのビルに足を踏み入れるのは、なんか場違いな気がしましたが約束の時間になったので受付に。

面接室に通されて、まずは筆記試験。

そしてそのあとに、1対6ぐらいの面接を行いました。

十分に準備をしたおかげか試験も面接も無難に終わりました。

「これうまくいっちゃうかもしれないな~」

手ごたえはあったのですが、これで決まると物理をやめるか悩まないといけなくなる。

とりあえず今は次のことだけを考えよう。

そう気を取り直して、ホテルに戻ったのでした。




そして考えないといけない時は次の日にやってきました。

なんと採用の内定をいただいたのです。

これから受ける公募の返事まで待ってもらえるか交渉しないといけなくなりました。

やっぱ大学の職ほしいしなあ。。。

何よりも研究をやめたくない。

昨今就職が難しい中で、経験がない、しかも中年の採用なんて絶望的なのによく採用されたんだから、そういう意味で悩みは贅沢。

ともあれ、公募の返事を待ってもらうようにしよう。

公募がダメだったときには、いよいよ物理を続けるかどうかの選択を迫られる。

物理続けた場合はどうなるのか?

チェコに戻って続けることになるんだろうけど、チェコの収入がしょぼすぎる。

チェコの収入だと老後は日本でってこともできないだろう。

さらに、奨学金は返還しないといかんし、チェコでの老後も危ない気がする。

とにかく公募が終わるまでこちらの返事を待って欲しいというかなり勝手なお願いを次の日にしてみた。




これがなんとそれでもよいとのお返事。

私は研究以外に何の経験もないのだが、海外にいて英語ができる理系ってあたりを買われたようだ。

その会社の海外事業部門の部長さんから、ぜひ来てほしいというメールをいただいてしまった・・・。

どうにしても、公募が終わるまでは返事を待ってもらえることになったので、そちらに集中することにした。

胃が痛い毎日が続く・・・。

(続く)


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日本に帰ろう3
2013年02月21日 (木) | 編集 |
そしてチェコにやってきた私。

一度住んだ場所ってことはあるけど、あんまり苦労することはなかった気がする。

最初に住んだ家はとてもきれいだったし、広かったのでとても気に入っていた。

日本とチェコの共同研究グラントも取得して、順調な研究生活!



というところでフィンランドでやった病気をやってしまいました。

また、しばらく体調不良が続いて回復には2,3ヶ月を要してしまいました。

いろんな病院で診察して貰って、原因が分かったのは半年以上後。

フィンランドできちんと調べなかったつけがここで来たような気がします。

回復した後にはかなり精神をやられていて、日本に帰りたい症候群に陥ってしまったので、一時帰国をすることにしました。

もうチェコに居ることにその時は耐えられそうになかったのです。

それでチケットを買ってさあ帰国と言うときに、東日本大震災が起こりました。



この時期に帰国をするべきかはかなり悩んだのですが、家族のことも少し心配だし日本に帰る決断をしました。

この地震で日本行きの飛行機はがら空きなのかと思えば、欧州旅行を終えた日本人でいっぱいでした。

外国人はいなかったような?

日本滞在中は地震のニュースばかり見ていましたが、それなりにリラックスをした時間を過ごしました。



チェコに帰国してしばらくはよかったのですが、5月ぐらいにふと「このままチェコに居ていいものか?」と自問自答がはじまり、よく眠れないし食べられない時期が続きました。

この頃の時期が一番つらかったように思う。

5月、6月はほとんど研究が手につかず、あーうー、唸っていただけなような気がします。




これではいかんと、出張を入れまくりました。

飛び回っていればそういうつらさも忘れられると。

7月は日本に1ヶ月滞在、8月、9月はお客さんラッシュ、11月に再び日本に一ヶ月滞在、12月にはフロリダの会議に参加しておりました。

2011年の後半は本当にチェコに居なかったように思う。

この間に大学の公募を出しまくりまして、更に物理を続けるかどうかまで考えました。

年齢も年齢だしこの年で日本に帰らなかったら、もう日本に戻れないなと。

チェコに骨を埋める気は全くありませんでした。

とにかく日本に帰りたい。

そのためなら物理を辞めることも辞さないと。



昨年の9月からはこれまで以上に公募に出しまくりました。9月からだけで30件以上は出したでしょうか?

しかし、面接には呼ばれない。

なんで呼ばれない?

実績が足りない?教育経験が足りない?年齢がネック?

どれもありそうな答えだし、結局どれか分からない。

でも出し続けるより他にない。



そんな時に大学院の後輩から、彼の勤める会社に応募してみないかという知らせをもらいました。

物理とは全然関係のない会社です。

その会社に行ったら、もう研究はできません。

でも、日本に帰ることはできる・・・。

で、悩んだ挙句にその会社に応募をしました。

通るかどうかわからないし、面接に呼ばれてから考えればいいやと。

で、面接に呼ばれることになりました。

後輩が人事にかかわっていることもあって、あっさりでした。

面接に日本に来てほしいとのことでしたが、年末だったので年明けの自分の帰国時にスケジュールできないか聞いてみました。

かなり勝手なお願いだと思いましたが、それでOKとのこと。


ちょうどその頃に今の職場の公募もあって出してみました。

こちらの公募の締め切りは会社の面接の後です。

先に会社が決まったらどうしよう・・・・。


続く。

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日本に帰ろう2
2013年02月20日 (水) | 編集 |
ヘルシンキ行きが決まり、再び欧州での生活が始まりました。

ヘルシンキの家は街の真ん中にあり、おいらの描いていた欧州生活そのものでした。

チェコは寮みたいな所に住んでいたのでおいらのイメージとはかけ離れていたんだよねえ。

ヘルシンキの最初の1年は色々苦しかった。

その理由の一つはボスとうまくやれなかったこと。

このブログでも何度も書いてるけど、とにかく変わった性格の人で、最初の内はそれが読み切れずにとても苦労しやした。

もう一つは大きな病気をしたことですね。

最初の年の10月ぐらいから、なんか背中がちりちりしたりして変だなと思っていたら、歩いているときに突然の呼吸困難。

道ばたにうずくまってしまったという。

周りのフィン人は冷たい視線を送るだけで誰も助けてくれない。

多分、アル中かなんかと思ったんだろうなあ。

んで、這いつくばるように家に帰って同僚に電話して病院にどう行ったらいいかとか聞き、次の日に病院に。

救急だったんだけど、ろくな診断してくれなくて更に悪化させてしまった。

で、ボスの紹介の医者が最終的に助けてくれたんだけど、原因究明とまではいかなかった。

これが後でまた痛い目をみる原因になるんだけどねえ・・・。

ともあれ、回復には数ヶ月を要して、1月ぐらいに大体復帰できたと思う。

2か月近く寝たきりだったこともあって、この時の精神的ダメージはかなりでかかったなあ。

2年目からは日本から新しいポスドクも来たし、ボスとの関係も良好になったので楽しくやることができた。

フィンランドの2~3年目がポスドク人生の中で一番楽しかったと思う。

研究も充実していたし、毎週末、友達の家でパーティーしたり、旅行をしたり。

この頃から日本のポジションはぼちぼち出していたかな。

今思えば時既に遅しなんだけど。



日本学術振興会のポスドク契約は2年で切れて3年目からはボスに直接雇ってもらいました。

それで幾つか応募も出していたんだけど、韓国と台湾からオファーが来ました。

どちらもポスドクだったんだけど、韓国が2+1年、台湾が2年ということで韓国のオファーを受けることにしました。

そのオファーを受けた後に、アメリカからもオファーが来ました。

ここはおいらのやっている分野の大家が居るところで一番行きたかった大学なんだけど、1年というオファーだったのと、韓国に返事をしてしまった後だったので諦めました。

ここも人生上大きな転換期だったなあ。

韓国を蹴ってアメリカに行っていたらどうなっていたんだろ?


で、やってきました韓国。

この国はとにかく肌に合わなかった・・・(韓国好きの皆様すいません)。

何が合わないって、生活環境と仕事のスタイルがです。

生活環境は欧州と大きく異なりとにかくきたない印象。

んで、仕事のスタイルはとにかく「やれるものをやれ」って感じで哲学も何もあったもんじゃない。

あんたら、なんのために研究してんのと?



上司と同僚には恵まれていたし、日本にもすぐに帰れる距離にあったのでそれなりによかったのですが、できるだけ早く出ようと考え始めました。

日本の公募には出しまくっていました。

とにかく日本に帰りたいと思うようになっていました。

海外生活に疲れてしまったのも韓国滞在の頃からかなあ・・・。

しかし、日本のポジションは出せども出せども面接に呼ばれません。

日本と韓国の間にはたかーい壁があるのです。

なんか賽の河原状態になっていたような気がする。



ここで、チェコの同僚のことを思い出して、チェコにポジションがあるか聞いてみました。

そしたらあるっていうので、とんとん拍子に赴任が決まって・・・。

折角日本に近くなったのに、また欧州に戻ることになるなんてとは思いましたが、ポジションは准教授相当だったので、横滑りで日本の准教授のポジションを取ることが出来るかなと考えました。

続く。


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日本に帰ろう1
2013年02月19日 (火) | 編集 |

ぼちぼち今の職を得るまでの話とか書いていこうと思います。

長くなるか短くなるかわからないけど、思いつくままに、その時考えていたことを掘り返してみたいと思います。




長い間のポスドク生活の中で、日本に帰りたいと思い始めたのはフィンランドにいるころだと思う。

最初にチェコにいたところは日本に帰りたいとか全然思わなかったし、このまま海外で就職できるならそれでもいいかなと考えていた。

それがいつの間にか日本に帰りたいという思いに変わっていました。

情けないと思われても別にいいです。それが自分の正直な気持ちだし。

なんで今のような状態の日本に帰ってきたいのかとよく聞かれたけど、金のこともあるし老後のこともあるし、親のこともある。

なにより日本が恋しかったわけだけどさ。

ちょっとチェコ時代あたりから振り返りたいと思う。

最初にチェコに居た頃はすべてが新鮮でとにかく飽きると言うことがなかったように思う。

今だからいうけど、当時のチェコの給与は17000コルナぐらい。

そこから税金とか家賃を引かれると8000コルナぐらい残る。

当時のレートで3万円ぐらい手元に残ることになる。

そんな給与でも楽しく生活していたのは、研究もそれなりに充実していたし、友達もたくさんできたからじゃないかなと思う。

その頃のおいらは日本への応募なんてほとんど出してなかったと思う。

出していたとしてもポスドクとか。

チェコの後もどこか海外で頑張るんだという気持ちが強くて、海外ポスドクばかり出していたと思う。

30代前半の自分。ほんと若さってすごいわと今更ながら思う。



チェコにしばらく居ることになるかなと思っていたら、金がなくなったので出ていってと言われたのが1年を少し過ぎたぐらいの頃。5年ぐらい居られると聞いていたので、なんじゃそりゃって思ったけど、とにかく居られないってんだから必死に職を探しますわ。

必死になると見つかるもので、東京の大学にポスドクのポジションを得たのであります。

んで2年のチェコ生活を終えて東京へ。

2年チェコに居て出来た貯金は40万円ぐらい?こんな金は東京でははした金です。

アパートを借りて生活用品をそろえたら500円しか余りませんでした。

給与が出るまで1ヶ月待たないといけなかったので、友達から金を借りたりして・・・。

昼飯も節約のために毎日弁当。

100円ショップとかに遠出して、おかずを仕入れたりできる節約はほとんどやっていたと思う。


大学ではセミナー係に任命されて、セミナーのアレンジと話し手の接待役などを仰せつかりました。

接待は夕方に飲みに行くことが多いんだけど、飲みに行く金もない訳です。

なんで、ほとんど断らざるを得ませんでした。今考えてもほんと申し訳なかった。



給与を貰って数ヶ月経ってだいぶ余裕は出てきたけど、赴任から最初の半年を過ぎると給与が半分になるという契約だったので(研究予算の都合上そういうシステムだった)、半年以内にどこか移動しようと必死こいて公募に出しました。この頃が自分の中で第一次公募ブーム。国内も国外も所構わず出しました。ぶっちゃけ公募だけ書いていてほとんど研究が出来なかったという(笑

そんな中で某高専から面接に呼ばれました。

結構あっさり呼ばれたので、こんなもんなのかと舐めてかかったのが悪かったのか、面接では大失敗。

模擬授業も受け答えも最悪だったと思う。

この時の失敗があるから、今回うまくいったのかもだけど、この失敗は後々までずっと引っ張ることになりました。



その後は公募はなしのつぶてでさてどうしたもんだと思っていたのですが、日本学術振興機構というところの二国間交流というポスドクのポジションを得て、フィンランドに行くことが決まりました。

決まったのが2005年の1月ぐらいだったかな。

4月から給与が半分になるって話だったので、ぎりぎり何とかなったという感じ。

個人的には、まだまだ海外でやりたかったので、決まったときには飛び上がって喜びました。

30代真ん中ぐらいの自分。もう考えないといけない年なのにまだまだ若いといいますか。

ちょっとは考えろと今の自分から言いたいもんだ。

で、再び欧州での生活が始まりました。


続く。

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