昨日は本屋さんでこんなものを発見。

そうです、ムーミンのカレンダーです。ムーミン大好き日本人ということで、もち速攻で買いました。これは1月の写真です、表紙を含めた残りのページも大公開!(っていいのか?)



表紙 2月(helmikuu) 3月(maaliskuu)



4月(huhtikuu) 5月(toukokuu) 6月(kesäkuu)



7月(heinäkuu) 8月(elokuu) 9月(syyskuu)



10月(lokakuu) 11月(marraskuu) 12月(joulukuu)
月代わりでムーミンカレンダーを楽しみましょう〜
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人気ブログランキングへ かつて世界は、アメリカを中心とする民主主義国家とソ連を中心とする社会主義国家にわかれて「東西冷戦」なるものを繰り広げてきました。ヨーロッパも「西」と「東」に分かれて、東側は日本の社会の教科書では「鉄のカーテンの向こう側」と暗いイメージで教えられたのを覚えています。知っての通り、私の住んでいたチェコ(スロバキア)をはじめとして、東ドイツ、ポーランド、ハンガリーなどは東側(社会主義国家群)と呼ばれた国々です。
では、フィンランドはどうでしたっけ?
フィンランドは隣が思いっきりソ連でしたが、社会主義国家ではなく民主主義国家でした。ですが、少し歴史を調べてみると、隣にソ連がありながら、いかにフィンランドが民主主義を保持するのが大変だったか分かる気がします。大国に振り回された小国の悲劇と言いますか...。
実はフィンランドは第2次世界大戦の敗戦国で(ナチスドイツのせいもあって、半ば強制的な参戦だったようですが)、戦後はソ連を中心とする連合国の管理委員会がおかれ、その管理委員会のソ連代表ツダノフ大将に内政干渉されまくりだったみたいです(本来、その監視団に内政干渉する権利はもちろんなし)。多分クレムリンの意向としては、他の東ヨーロッパの国のように、共産党政権の樹立を目指したかったことでしょう。実際、フィンランド共産党は当時合法的に活動を許され、クレムリンの力を背景に共産党政権樹立を目指していました。しかし、戦後初の総選挙では、フィンランド共産党は25パーセント程度の議席しか獲得できず、結局その後は、共産党の力が増すことはなく共産党は政権をとることができませんでした。この辺の状況は、チェコとは大きく異なっていると思います。チェコは選挙によって初めて社会主義政権が成立した国として知られていますが、これはチェコ人同僚に言わせれば「クレムリンの差し金」とのこと。共産党員が貧乏人に「誰にでも平等に食べ物や家を与えてあげる」と甘言をふれ込み、”教育の行き届いていない人々”をそそのかして共産党政権を成立させたと言います(それこそ、同僚はこの話をすごいしかっめ面をして話していた)。
さて、フィンランドは共産党政権の樹立は免れましたが、相変わらず隣は社会主義の本拠地ソ連であるし、いつその脅威にさらされるかわかったもんではありません(世界大戦だけでなく、スウェーデンや帝政ロシアに占領されたり、ソ連からの独立戦争など幾つかの戦争経験があり、常に大国の脅威にさらされてきた)。だからフィンランドのとった政策は
「大国に逆らうと痛い目を見るので、逆らわないでできるだけ仲良くやっていく」
というもの。これが
フィンランド化
と言われる言葉の語源です。もうちょっと具体的には
「ソ連にはフィンランドの政治体制の自由を保障してもらう。その代わりに、第3国がソ連に攻めに入っちまった日には、俺たちの領土は使わせないし、おいらたちも一緒に戦うぜ」
というもの。フィンランドはこうしてソ連と西側国家の間に入る緩衝地帯になって、冷戦が終わるまではフィンランドはソ連を刺激しないように、西側には大きく寄ることはなかったようです。実際、EUに入ったのは冷戦終結後の1995年でした。
なので、かつてのフィンランドを西か東かとはっきり区別することはちょっと難しいかなという感じがします。限りなく東よりの民主主義国家といった感じでしょうか。
上記の背景を考えたとき、フィンランド化という言葉は悪いニュアンス、つまり
大国に取り入って自国の安全を守る
と解釈できますが(実際、英語の辞書などには「Finlandization」という言葉があり、悪いニュアンスが載っているようだ(自分の辞書にはなかった))、この政策は、戦後民主主義体制を守るためのフィンランドの”知恵”だったのかなあとも思えるのではないでしょうか?
と今日は少しフィンランドを褒めてみたりして
でも、ソ連が嫌になって逃げてきたロシア人は、フィンランドで見つかるとロシアに強制送還されていたらしい...。これもフィンランド化の一面ってことで...
少し真面目な話でしたが、クリックしてくれるとうれしいっす!
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では、フィンランドはどうでしたっけ?
フィンランドは隣が思いっきりソ連でしたが、社会主義国家ではなく民主主義国家でした。ですが、少し歴史を調べてみると、隣にソ連がありながら、いかにフィンランドが民主主義を保持するのが大変だったか分かる気がします。大国に振り回された小国の悲劇と言いますか...。
実はフィンランドは第2次世界大戦の敗戦国で(ナチスドイツのせいもあって、半ば強制的な参戦だったようですが)、戦後はソ連を中心とする連合国の管理委員会がおかれ、その管理委員会のソ連代表ツダノフ大将に内政干渉されまくりだったみたいです(本来、その監視団に内政干渉する権利はもちろんなし)。多分クレムリンの意向としては、他の東ヨーロッパの国のように、共産党政権の樹立を目指したかったことでしょう。実際、フィンランド共産党は当時合法的に活動を許され、クレムリンの力を背景に共産党政権樹立を目指していました。しかし、戦後初の総選挙では、フィンランド共産党は25パーセント程度の議席しか獲得できず、結局その後は、共産党の力が増すことはなく共産党は政権をとることができませんでした。この辺の状況は、チェコとは大きく異なっていると思います。チェコは選挙によって初めて社会主義政権が成立した国として知られていますが、これはチェコ人同僚に言わせれば「クレムリンの差し金」とのこと。共産党員が貧乏人に「誰にでも平等に食べ物や家を与えてあげる」と甘言をふれ込み、”教育の行き届いていない人々”をそそのかして共産党政権を成立させたと言います(それこそ、同僚はこの話をすごいしかっめ面をして話していた)。
さて、フィンランドは共産党政権の樹立は免れましたが、相変わらず隣は社会主義の本拠地ソ連であるし、いつその脅威にさらされるかわかったもんではありません(世界大戦だけでなく、スウェーデンや帝政ロシアに占領されたり、ソ連からの独立戦争など幾つかの戦争経験があり、常に大国の脅威にさらされてきた)。だからフィンランドのとった政策は
「大国に逆らうと痛い目を見るので、逆らわないでできるだけ仲良くやっていく」
というもの。これが
フィンランド化
と言われる言葉の語源です。もうちょっと具体的には
「ソ連にはフィンランドの政治体制の自由を保障してもらう。その代わりに、第3国がソ連に攻めに入っちまった日には、俺たちの領土は使わせないし、おいらたちも一緒に戦うぜ」
というもの。フィンランドはこうしてソ連と西側国家の間に入る緩衝地帯になって、冷戦が終わるまではフィンランドはソ連を刺激しないように、西側には大きく寄ることはなかったようです。実際、EUに入ったのは冷戦終結後の1995年でした。
なので、かつてのフィンランドを西か東かとはっきり区別することはちょっと難しいかなという感じがします。限りなく東よりの民主主義国家といった感じでしょうか。
上記の背景を考えたとき、フィンランド化という言葉は悪いニュアンス、つまり
大国に取り入って自国の安全を守る
と解釈できますが(実際、英語の辞書などには「Finlandization」という言葉があり、悪いニュアンスが載っているようだ(自分の辞書にはなかった))、この政策は、戦後民主主義体制を守るためのフィンランドの”知恵”だったのかなあとも思えるのではないでしょうか?
と今日は少しフィンランドを褒めてみたりして

でも、ソ連が嫌になって逃げてきたロシア人は、フィンランドで見つかるとロシアに強制送還されていたらしい...。これもフィンランド化の一面ってことで...

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