
どうも疲れが抜けません。
寝ても疲れが取れないのは、どういうことなのよヽ(´ー`)ノ
温泉にでも行かないとだめかねえ、これは・・。
というわけで、眠すぎて更新がままならない・・・(´・ω・)
しかし、そうも言っていられません。
今週末にはチェコ人がやってくるからです。
今回は、東京で会う予定で、おいらは5日間滞在して、その間に議論を進める予定です。
日曜日に合流する予定ですが、日曜日は都内のどこかに行こうと思っています。
丁度、調布の深大寺でだるま祭りがやっているので、それを見に行くもいいかなと思っています。
それまでに体調を戻すのだ~(`・ω・´)
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温泉にでも行かないとだめかねえ、これは・・。
というわけで、眠すぎて更新がままならない・・・(´・ω・)
しかし、そうも言っていられません。
今週末にはチェコ人がやってくるからです。
今回は、東京で会う予定で、おいらは5日間滞在して、その間に議論を進める予定です。
日曜日に合流する予定ですが、日曜日は都内のどこかに行こうと思っています。
丁度、調布の深大寺でだるま祭りがやっているので、それを見に行くもいいかなと思っています。
それまでに体調を戻すのだ~(`・ω・´)


授業や成績付けが終わって、職場はほとんど春休みになりました。
3月は自由になる時間が多いので、ばしばし出かける&研究したいと思います。
そしてメインなのは
チェコ出張!
1週間程度の出張ですが、とても楽しみであります
メインなのはチェコ人学生との共同研究ならびに、博士論文の構成についての議論です。
学生は9月に公聴会を控えており、現在絶賛博士論文を執筆中。
その指導以外には、もちろん友達と飲みまくる予定ですw
観光とかは別に予定なし。
もうチェコで行きたい場所ってあんまないからねえ。
強いて言えば世界遺産だけど、チェコの世界遺産で行っていないのはホラショビツェっていう小さな村だけ。
ここめっちゃつまらんって聞いているので、なかなか行く気にならないんだよねえ。
というわけで、研究と友達との飲みを満喫したいと思います
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3月は自由になる時間が多いので、ばしばし出かける&研究したいと思います。
そしてメインなのは
チェコ出張!
1週間程度の出張ですが、とても楽しみであります

メインなのはチェコ人学生との共同研究ならびに、博士論文の構成についての議論です。
学生は9月に公聴会を控えており、現在絶賛博士論文を執筆中。
その指導以外には、もちろん友達と飲みまくる予定ですw
観光とかは別に予定なし。
もうチェコで行きたい場所ってあんまないからねえ。
強いて言えば世界遺産だけど、チェコの世界遺産で行っていないのはホラショビツェっていう小さな村だけ。
ここめっちゃつまらんって聞いているので、なかなか行く気にならないんだよねえ。
というわけで、研究と友達との飲みを満喫したいと思います



ちょっと前の記事だけど、こんなの発見。
アップルで16年働いていたという人の記事です。
ブラックというとちょっと引くけど、要はスティーブ・ジョブズはクレイジーだったということ。
クレイジーぶりは色々書いてありますが、こっちのエントリーもおもしろい。
マスコミとかは将来を見据えた経営者とかいってるけど、そういうイメージではないと彼は言っています。
アップルを立て直すところからその場でできることをやっていたと。
彼がすごいのは確かだろうけど、そこまで持ち上げるのもね。
働いていた人の話は現実味があるわ。
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アップルで16年働いていたという人の記事です。
ブラックというとちょっと引くけど、要はスティーブ・ジョブズはクレイジーだったということ。
クレイジーぶりは色々書いてありますが、こっちのエントリーもおもしろい。
マスコミとかは将来を見据えた経営者とかいってるけど、そういうイメージではないと彼は言っています。
アップルを立て直すところからその場でできることをやっていたと。
彼がすごいのは確かだろうけど、そこまで持ち上げるのもね。
働いていた人の話は現実味があるわ。


今日はものすごく神経を使う業務の日で、終わったときにはぐったりでした。
おまけに、宿直というコンビネーションで、週末からの労働も合わせると休みなしです。
という訳で、明日は宿直が終わったら家に帰る予定です。
やってられんw
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おまけに、宿直というコンビネーションで、週末からの労働も合わせると休みなしです。
という訳で、明日は宿直が終わったら家に帰る予定です。
やってられんw


会社からの内定をもらってから1週間もしないうちに、今度は公募先の見学です。
見学先の町に前泊して、次の日の朝から見学をさせてもらいました。
学科長と会って話をしたけど、手応えは正直微妙だった。
海外で研究だけやっていた人は敬遠されるんだなあという雰囲気を感じたが、アピールできるところはアピールしておいた。
そして夕方には公募先を後にして、出張先の大学へと向かった。
そこですぐさま、講義の準備。
面接対策やらなんやらで全然準備が進んでいなくて、必死こいてスライド作った。
その間にも、公募先から面接のお呼びがかかるかどうかで気が気じゃなかった。
公募締め切りから1週間経ったから、そろそろじゃねえ?
いや10日ぐらい普通か?
とか。
そんなことはもうこれまでの公募で何回とも繰り返されてきたことなんだけどさ。
で、結局締め切りから1週間ぐらい経って、面接の通知が来たわけです。
面接は1週間後で、模擬授業と面接。
そこからは模擬授業の準備に専念。
ビデオにとって自分で見てみたり、それを見ながら時間制限内に説明できるように何度も練習したり。
練習回数はたかだか20回ぐらいだと思うけど、完全に時間内に説明できるようになった。
面接前日のことはよく覚えている。
事故を起こした福島第一原発の2号機だかの温度計が壊れて、300度とかとんでもない温度をたたき出したときだ。
面接では私は2番手だったと思う。
最初は模擬授業で、これがまさの時間オーバー。
聴衆が居る時と居ないときでは、やっぱしゃべり方も変わってくるのか、少し時間をオーバーしてしまった。
模擬授業の後はいったん休憩。
休憩では、模擬授業のことを思い出して頭を抱えてしまったが、終わったことは仕方ない。
休憩の後の面接はそれなりに無難にこなして終わり。
すべてが終わった後は、やるだけのことはやったという感覚。
まあ、これで駄目でもいいかなって思えたぐらいだ。
とにかくすっきりしていた。
精根尽き果てたとはまさにこのこと。
帰りのバスの中で、ぐったりして日本滞在の最期の目的地の実家に向かいました。
採用通知を電話でもらったのは、実家について次の日。
とにかく長い道のりだった。
採用って2文字を勝ち取るまで、どれだけの年月と応募数を必要としただろうか。
人生上、ここまで喜んだことってないんじゃないかってぐらい喜んだ。
それで今の職場に来て1年経った。
田舎ではあるけど、やっぱり日本は落ち着くし、お金の心配が今のところそんなにないのが大きい。
日本語も通じるしね(笑
海外暮らしは、家族がいればまた違った選択肢もあったんだと思う。
あいにく(?)家族はできなかったし、結果として日本に帰ることをよりどころにしてしまったというか。
どっちが幸せなことなのか、今になってはわからん。
ともあれ、自分で言うのも何だけど、今の職をとるための努力はよくやったと思う。
今後も、ステップアップを目指すので、努力をし続けることになるけど、あのとき出した瞬間的なパワーが出せるかは、ちょっと怪しいかもw
それぐらい頑張ったと言うことかなと。
なんかまとまりがないけど、1年前にあった就職裏話はここまでw
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見学先の町に前泊して、次の日の朝から見学をさせてもらいました。
学科長と会って話をしたけど、手応えは正直微妙だった。
海外で研究だけやっていた人は敬遠されるんだなあという雰囲気を感じたが、アピールできるところはアピールしておいた。
そして夕方には公募先を後にして、出張先の大学へと向かった。
そこですぐさま、講義の準備。
面接対策やらなんやらで全然準備が進んでいなくて、必死こいてスライド作った。
その間にも、公募先から面接のお呼びがかかるかどうかで気が気じゃなかった。
公募締め切りから1週間経ったから、そろそろじゃねえ?
いや10日ぐらい普通か?
とか。
そんなことはもうこれまでの公募で何回とも繰り返されてきたことなんだけどさ。
で、結局締め切りから1週間ぐらい経って、面接の通知が来たわけです。
面接は1週間後で、模擬授業と面接。
そこからは模擬授業の準備に専念。
ビデオにとって自分で見てみたり、それを見ながら時間制限内に説明できるように何度も練習したり。
練習回数はたかだか20回ぐらいだと思うけど、完全に時間内に説明できるようになった。
面接前日のことはよく覚えている。
事故を起こした福島第一原発の2号機だかの温度計が壊れて、300度とかとんでもない温度をたたき出したときだ。
面接では私は2番手だったと思う。
最初は模擬授業で、これがまさの時間オーバー。
聴衆が居る時と居ないときでは、やっぱしゃべり方も変わってくるのか、少し時間をオーバーしてしまった。
模擬授業の後はいったん休憩。
休憩では、模擬授業のことを思い出して頭を抱えてしまったが、終わったことは仕方ない。
休憩の後の面接はそれなりに無難にこなして終わり。
すべてが終わった後は、やるだけのことはやったという感覚。
まあ、これで駄目でもいいかなって思えたぐらいだ。
とにかくすっきりしていた。
精根尽き果てたとはまさにこのこと。
帰りのバスの中で、ぐったりして日本滞在の最期の目的地の実家に向かいました。
採用通知を電話でもらったのは、実家について次の日。
とにかく長い道のりだった。
採用って2文字を勝ち取るまで、どれだけの年月と応募数を必要としただろうか。
人生上、ここまで喜んだことってないんじゃないかってぐらい喜んだ。
それで今の職場に来て1年経った。
田舎ではあるけど、やっぱり日本は落ち着くし、お金の心配が今のところそんなにないのが大きい。
日本語も通じるしね(笑
海外暮らしは、家族がいればまた違った選択肢もあったんだと思う。
あいにく(?)家族はできなかったし、結果として日本に帰ることをよりどころにしてしまったというか。
どっちが幸せなことなのか、今になってはわからん。
ともあれ、自分で言うのも何だけど、今の職をとるための努力はよくやったと思う。
今後も、ステップアップを目指すので、努力をし続けることになるけど、あのとき出した瞬間的なパワーが出せるかは、ちょっと怪しいかもw
それぐらい頑張ったと言うことかなと。
なんかまとまりがないけど、1年前にあった就職裏話はここまでw


今日は週末にもかかわらず、労働でございました。
寒いこともあって、帰るころには頭がくらくらしてきてしまいました
これはいかんとお風呂を入れて、あったまりました。
お風呂がある生活万歳です。
欧州だとこうはいきませんからね~。
で、明日も労働なのでさっさと寝ます。
全然、休みがとれないわ、まったく・・・
週明けの火曜は有給を取ってやろうと思います。
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寒いこともあって、帰るころには頭がくらくらしてきてしまいました

これはいかんとお風呂を入れて、あったまりました。
お風呂がある生活万歳です。
欧州だとこうはいきませんからね~。
で、明日も労働なのでさっさと寝ます。
全然、休みがとれないわ、まったく・・・

週明けの火曜は有給を取ってやろうと思います。


会社の面接によばれたからには、手抜きはできません。
後輩も書類を通してくれたわけだから、通るつもりで面接に臨まないといけない。
その会社についてさらに徹底的に調べて、面接対策をしました。
面接のときの帰国では、他大学で講義をやることになっていたので、その準備もしていました。
今の職場に見学に行くことにもなっていました。
今の職場の前任者が、以前チェコにいた時の友人の知り合いで、その友人経由で連絡を取ったところ、見学にきて欲しいとのことだったので、そちらも行くことになったのです。
会社の面接に、講義に、見学。
そしてその準備でもう何が何だからわからない状況に。
忙しさの中、1月下旬に日本帰国。
帰国してすぐに会社の面接でした。
会社は東京駅のすぐそばの超高層ビルにありました。
ビジネスマンの入り乱れるそのビルに足を踏み入れるのは、なんか場違いな気がしましたが約束の時間になったので受付に。
面接室に通されて、まずは筆記試験。
そしてそのあとに、1対6ぐらいの面接を行いました。
十分に準備をしたおかげか試験も面接も無難に終わりました。
「これうまくいっちゃうかもしれないな~」
手ごたえはあったのですが、これで決まると物理をやめるか悩まないといけなくなる。
とりあえず今は次のことだけを考えよう。
そう気を取り直して、ホテルに戻ったのでした。
そして考えないといけない時は次の日にやってきました。
なんと採用の内定をいただいたのです。
これから受ける公募の返事まで待ってもらえるか交渉しないといけなくなりました。
やっぱ大学の職ほしいしなあ。。。
何よりも研究をやめたくない。
昨今就職が難しい中で、経験がない、しかも中年の採用なんて絶望的なのによく採用されたんだから、そういう意味で悩みは贅沢。
ともあれ、公募の返事を待ってもらうようにしよう。
公募がダメだったときには、いよいよ物理を続けるかどうかの選択を迫られる。
物理続けた場合はどうなるのか?
チェコに戻って続けることになるんだろうけど、チェコの収入がしょぼすぎる。
チェコの収入だと老後は日本でってこともできないだろう。
さらに、奨学金は返還しないといかんし、チェコでの老後も危ない気がする。
とにかく公募が終わるまでこちらの返事を待って欲しいというかなり勝手なお願いを次の日にしてみた。
これがなんとそれでもよいとのお返事。
私は研究以外に何の経験もないのだが、海外にいて英語ができる理系ってあたりを買われたようだ。
その会社の海外事業部門の部長さんから、ぜひ来てほしいというメールをいただいてしまった・・・。
どうにしても、公募が終わるまでは返事を待ってもらえることになったので、そちらに集中することにした。
胃が痛い毎日が続く・・・。
(続く)
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後輩も書類を通してくれたわけだから、通るつもりで面接に臨まないといけない。
その会社についてさらに徹底的に調べて、面接対策をしました。
面接のときの帰国では、他大学で講義をやることになっていたので、その準備もしていました。
今の職場に見学に行くことにもなっていました。
今の職場の前任者が、以前チェコにいた時の友人の知り合いで、その友人経由で連絡を取ったところ、見学にきて欲しいとのことだったので、そちらも行くことになったのです。
会社の面接に、講義に、見学。
そしてその準備でもう何が何だからわからない状況に。
忙しさの中、1月下旬に日本帰国。
帰国してすぐに会社の面接でした。
会社は東京駅のすぐそばの超高層ビルにありました。
ビジネスマンの入り乱れるそのビルに足を踏み入れるのは、なんか場違いな気がしましたが約束の時間になったので受付に。
面接室に通されて、まずは筆記試験。
そしてそのあとに、1対6ぐらいの面接を行いました。
十分に準備をしたおかげか試験も面接も無難に終わりました。
「これうまくいっちゃうかもしれないな~」
手ごたえはあったのですが、これで決まると物理をやめるか悩まないといけなくなる。
とりあえず今は次のことだけを考えよう。
そう気を取り直して、ホテルに戻ったのでした。
そして考えないといけない時は次の日にやってきました。
なんと採用の内定をいただいたのです。
これから受ける公募の返事まで待ってもらえるか交渉しないといけなくなりました。
やっぱ大学の職ほしいしなあ。。。
何よりも研究をやめたくない。
昨今就職が難しい中で、経験がない、しかも中年の採用なんて絶望的なのによく採用されたんだから、そういう意味で悩みは贅沢。
ともあれ、公募の返事を待ってもらうようにしよう。
公募がダメだったときには、いよいよ物理を続けるかどうかの選択を迫られる。
物理続けた場合はどうなるのか?
チェコに戻って続けることになるんだろうけど、チェコの収入がしょぼすぎる。
チェコの収入だと老後は日本でってこともできないだろう。
さらに、奨学金は返還しないといかんし、チェコでの老後も危ない気がする。
とにかく公募が終わるまでこちらの返事を待って欲しいというかなり勝手なお願いを次の日にしてみた。
これがなんとそれでもよいとのお返事。
私は研究以外に何の経験もないのだが、海外にいて英語ができる理系ってあたりを買われたようだ。
その会社の海外事業部門の部長さんから、ぜひ来てほしいというメールをいただいてしまった・・・。
どうにしても、公募が終わるまでは返事を待ってもらえることになったので、そちらに集中することにした。
胃が痛い毎日が続く・・・。
(続く)


そしてチェコにやってきた私。
一度住んだ場所ってことはあるけど、あんまり苦労することはなかった気がする。
最初に住んだ家はとてもきれいだったし、広かったのでとても気に入っていた。
日本とチェコの共同研究グラントも取得して、順調な研究生活!
というところでフィンランドでやった病気をやってしまいました。
また、しばらく体調不良が続いて回復には2,3ヶ月を要してしまいました。
いろんな病院で診察して貰って、原因が分かったのは半年以上後。
フィンランドできちんと調べなかったつけがここで来たような気がします。
回復した後にはかなり精神をやられていて、日本に帰りたい症候群に陥ってしまったので、一時帰国をすることにしました。
もうチェコに居ることにその時は耐えられそうになかったのです。
それでチケットを買ってさあ帰国と言うときに、東日本大震災が起こりました。
この時期に帰国をするべきかはかなり悩んだのですが、家族のことも少し心配だし日本に帰る決断をしました。
この地震で日本行きの飛行機はがら空きなのかと思えば、欧州旅行を終えた日本人でいっぱいでした。
外国人はいなかったような?
日本滞在中は地震のニュースばかり見ていましたが、それなりにリラックスをした時間を過ごしました。
チェコに帰国してしばらくはよかったのですが、5月ぐらいにふと「このままチェコに居ていいものか?」と自問自答がはじまり、よく眠れないし食べられない時期が続きました。
この頃の時期が一番つらかったように思う。
5月、6月はほとんど研究が手につかず、あーうー、唸っていただけなような気がします。
これではいかんと、出張を入れまくりました。
飛び回っていればそういうつらさも忘れられると。
7月は日本に1ヶ月滞在、8月、9月はお客さんラッシュ、11月に再び日本に一ヶ月滞在、12月にはフロリダの会議に参加しておりました。
2011年の後半は本当にチェコに居なかったように思う。
この間に大学の公募を出しまくりまして、更に物理を続けるかどうかまで考えました。
年齢も年齢だしこの年で日本に帰らなかったら、もう日本に戻れないなと。
チェコに骨を埋める気は全くありませんでした。
とにかく日本に帰りたい。
そのためなら物理を辞めることも辞さないと。
昨年の9月からはこれまで以上に公募に出しまくりました。9月からだけで30件以上は出したでしょうか?
しかし、面接には呼ばれない。
なんで呼ばれない?
実績が足りない?教育経験が足りない?年齢がネック?
どれもありそうな答えだし、結局どれか分からない。
でも出し続けるより他にない。
そんな時に大学院の後輩から、彼の勤める会社に応募してみないかという知らせをもらいました。
物理とは全然関係のない会社です。
その会社に行ったら、もう研究はできません。
でも、日本に帰ることはできる・・・。
で、悩んだ挙句にその会社に応募をしました。
通るかどうかわからないし、面接に呼ばれてから考えればいいやと。
で、面接に呼ばれることになりました。
後輩が人事にかかわっていることもあって、あっさりでした。
面接に日本に来てほしいとのことでしたが、年末だったので年明けの自分の帰国時にスケジュールできないか聞いてみました。
かなり勝手なお願いだと思いましたが、それでOKとのこと。
ちょうどその頃に今の職場の公募もあって出してみました。
こちらの公募の締め切りは会社の面接の後です。
先に会社が決まったらどうしよう・・・・。
続く。
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一度住んだ場所ってことはあるけど、あんまり苦労することはなかった気がする。
最初に住んだ家はとてもきれいだったし、広かったのでとても気に入っていた。
日本とチェコの共同研究グラントも取得して、順調な研究生活!
というところでフィンランドでやった病気をやってしまいました。
また、しばらく体調不良が続いて回復には2,3ヶ月を要してしまいました。
いろんな病院で診察して貰って、原因が分かったのは半年以上後。
フィンランドできちんと調べなかったつけがここで来たような気がします。
回復した後にはかなり精神をやられていて、日本に帰りたい症候群に陥ってしまったので、一時帰国をすることにしました。
もうチェコに居ることにその時は耐えられそうになかったのです。
それでチケットを買ってさあ帰国と言うときに、東日本大震災が起こりました。
この時期に帰国をするべきかはかなり悩んだのですが、家族のことも少し心配だし日本に帰る決断をしました。
この地震で日本行きの飛行機はがら空きなのかと思えば、欧州旅行を終えた日本人でいっぱいでした。
外国人はいなかったような?
日本滞在中は地震のニュースばかり見ていましたが、それなりにリラックスをした時間を過ごしました。
チェコに帰国してしばらくはよかったのですが、5月ぐらいにふと「このままチェコに居ていいものか?」と自問自答がはじまり、よく眠れないし食べられない時期が続きました。
この頃の時期が一番つらかったように思う。
5月、6月はほとんど研究が手につかず、あーうー、唸っていただけなような気がします。
これではいかんと、出張を入れまくりました。
飛び回っていればそういうつらさも忘れられると。
7月は日本に1ヶ月滞在、8月、9月はお客さんラッシュ、11月に再び日本に一ヶ月滞在、12月にはフロリダの会議に参加しておりました。
2011年の後半は本当にチェコに居なかったように思う。
この間に大学の公募を出しまくりまして、更に物理を続けるかどうかまで考えました。
年齢も年齢だしこの年で日本に帰らなかったら、もう日本に戻れないなと。
チェコに骨を埋める気は全くありませんでした。
とにかく日本に帰りたい。
そのためなら物理を辞めることも辞さないと。
昨年の9月からはこれまで以上に公募に出しまくりました。9月からだけで30件以上は出したでしょうか?
しかし、面接には呼ばれない。
なんで呼ばれない?
実績が足りない?教育経験が足りない?年齢がネック?
どれもありそうな答えだし、結局どれか分からない。
でも出し続けるより他にない。
そんな時に大学院の後輩から、彼の勤める会社に応募してみないかという知らせをもらいました。
物理とは全然関係のない会社です。
その会社に行ったら、もう研究はできません。
でも、日本に帰ることはできる・・・。
で、悩んだ挙句にその会社に応募をしました。
通るかどうかわからないし、面接に呼ばれてから考えればいいやと。
で、面接に呼ばれることになりました。
後輩が人事にかかわっていることもあって、あっさりでした。
面接に日本に来てほしいとのことでしたが、年末だったので年明けの自分の帰国時にスケジュールできないか聞いてみました。
かなり勝手なお願いだと思いましたが、それでOKとのこと。
ちょうどその頃に今の職場の公募もあって出してみました。
こちらの公募の締め切りは会社の面接の後です。
先に会社が決まったらどうしよう・・・・。
続く。


ヘルシンキ行きが決まり、再び欧州での生活が始まりました。
ヘルシンキの家は街の真ん中にあり、おいらの描いていた欧州生活そのものでした。
チェコは寮みたいな所に住んでいたのでおいらのイメージとはかけ離れていたんだよねえ。
ヘルシンキの最初の1年は色々苦しかった。
その理由の一つはボスとうまくやれなかったこと。
このブログでも何度も書いてるけど、とにかく変わった性格の人で、最初の内はそれが読み切れずにとても苦労しやした。
もう一つは大きな病気をしたことですね。
最初の年の10月ぐらいから、なんか背中がちりちりしたりして変だなと思っていたら、歩いているときに突然の呼吸困難。
道ばたにうずくまってしまったという。
周りのフィン人は冷たい視線を送るだけで誰も助けてくれない。
多分、アル中かなんかと思ったんだろうなあ。
んで、這いつくばるように家に帰って同僚に電話して病院にどう行ったらいいかとか聞き、次の日に病院に。
救急だったんだけど、ろくな診断してくれなくて更に悪化させてしまった。
で、ボスの紹介の医者が最終的に助けてくれたんだけど、原因究明とまではいかなかった。
これが後でまた痛い目をみる原因になるんだけどねえ・・・。
ともあれ、回復には数ヶ月を要して、1月ぐらいに大体復帰できたと思う。
2か月近く寝たきりだったこともあって、この時の精神的ダメージはかなりでかかったなあ。
2年目からは日本から新しいポスドクも来たし、ボスとの関係も良好になったので楽しくやることができた。
フィンランドの2~3年目がポスドク人生の中で一番楽しかったと思う。
研究も充実していたし、毎週末、友達の家でパーティーしたり、旅行をしたり。
この頃から日本のポジションはぼちぼち出していたかな。
今思えば時既に遅しなんだけど。
日本学術振興会のポスドク契約は2年で切れて3年目からはボスに直接雇ってもらいました。
それで幾つか応募も出していたんだけど、韓国と台湾からオファーが来ました。
どちらもポスドクだったんだけど、韓国が2+1年、台湾が2年ということで韓国のオファーを受けることにしました。
そのオファーを受けた後に、アメリカからもオファーが来ました。
ここはおいらのやっている分野の大家が居るところで一番行きたかった大学なんだけど、1年というオファーだったのと、韓国に返事をしてしまった後だったので諦めました。
ここも人生上大きな転換期だったなあ。
韓国を蹴ってアメリカに行っていたらどうなっていたんだろ?
で、やってきました韓国。
この国はとにかく肌に合わなかった・・・(韓国好きの皆様すいません)。
何が合わないって、生活環境と仕事のスタイルがです。
生活環境は欧州と大きく異なりとにかくきたない印象。
んで、仕事のスタイルはとにかく「やれるものをやれ」って感じで哲学も何もあったもんじゃない。
あんたら、なんのために研究してんのと?
上司と同僚には恵まれていたし、日本にもすぐに帰れる距離にあったのでそれなりによかったのですが、できるだけ早く出ようと考え始めました。
日本の公募には出しまくっていました。
とにかく日本に帰りたいと思うようになっていました。
海外生活に疲れてしまったのも韓国滞在の頃からかなあ・・・。
しかし、日本のポジションは出せども出せども面接に呼ばれません。
日本と韓国の間にはたかーい壁があるのです。
なんか賽の河原状態になっていたような気がする。
ここで、チェコの同僚のことを思い出して、チェコにポジションがあるか聞いてみました。
そしたらあるっていうので、とんとん拍子に赴任が決まって・・・。
折角日本に近くなったのに、また欧州に戻ることになるなんてとは思いましたが、ポジションは准教授相当だったので、横滑りで日本の准教授のポジションを取ることが出来るかなと考えました。
続く。
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ヘルシンキの家は街の真ん中にあり、おいらの描いていた欧州生活そのものでした。
チェコは寮みたいな所に住んでいたのでおいらのイメージとはかけ離れていたんだよねえ。
ヘルシンキの最初の1年は色々苦しかった。
その理由の一つはボスとうまくやれなかったこと。
このブログでも何度も書いてるけど、とにかく変わった性格の人で、最初の内はそれが読み切れずにとても苦労しやした。
もう一つは大きな病気をしたことですね。
最初の年の10月ぐらいから、なんか背中がちりちりしたりして変だなと思っていたら、歩いているときに突然の呼吸困難。
道ばたにうずくまってしまったという。
周りのフィン人は冷たい視線を送るだけで誰も助けてくれない。
多分、アル中かなんかと思ったんだろうなあ。
んで、這いつくばるように家に帰って同僚に電話して病院にどう行ったらいいかとか聞き、次の日に病院に。
救急だったんだけど、ろくな診断してくれなくて更に悪化させてしまった。
で、ボスの紹介の医者が最終的に助けてくれたんだけど、原因究明とまではいかなかった。
これが後でまた痛い目をみる原因になるんだけどねえ・・・。
ともあれ、回復には数ヶ月を要して、1月ぐらいに大体復帰できたと思う。
2か月近く寝たきりだったこともあって、この時の精神的ダメージはかなりでかかったなあ。
2年目からは日本から新しいポスドクも来たし、ボスとの関係も良好になったので楽しくやることができた。
フィンランドの2~3年目がポスドク人生の中で一番楽しかったと思う。
研究も充実していたし、毎週末、友達の家でパーティーしたり、旅行をしたり。
この頃から日本のポジションはぼちぼち出していたかな。
今思えば時既に遅しなんだけど。
日本学術振興会のポスドク契約は2年で切れて3年目からはボスに直接雇ってもらいました。
それで幾つか応募も出していたんだけど、韓国と台湾からオファーが来ました。
どちらもポスドクだったんだけど、韓国が2+1年、台湾が2年ということで韓国のオファーを受けることにしました。
そのオファーを受けた後に、アメリカからもオファーが来ました。
ここはおいらのやっている分野の大家が居るところで一番行きたかった大学なんだけど、1年というオファーだったのと、韓国に返事をしてしまった後だったので諦めました。
ここも人生上大きな転換期だったなあ。
韓国を蹴ってアメリカに行っていたらどうなっていたんだろ?
で、やってきました韓国。
この国はとにかく肌に合わなかった・・・(韓国好きの皆様すいません)。
何が合わないって、生活環境と仕事のスタイルがです。
生活環境は欧州と大きく異なりとにかくきたない印象。
んで、仕事のスタイルはとにかく「やれるものをやれ」って感じで哲学も何もあったもんじゃない。
あんたら、なんのために研究してんのと?
上司と同僚には恵まれていたし、日本にもすぐに帰れる距離にあったのでそれなりによかったのですが、できるだけ早く出ようと考え始めました。
日本の公募には出しまくっていました。
とにかく日本に帰りたいと思うようになっていました。
海外生活に疲れてしまったのも韓国滞在の頃からかなあ・・・。
しかし、日本のポジションは出せども出せども面接に呼ばれません。
日本と韓国の間にはたかーい壁があるのです。
なんか賽の河原状態になっていたような気がする。
ここで、チェコの同僚のことを思い出して、チェコにポジションがあるか聞いてみました。
そしたらあるっていうので、とんとん拍子に赴任が決まって・・・。
折角日本に近くなったのに、また欧州に戻ることになるなんてとは思いましたが、ポジションは准教授相当だったので、横滑りで日本の准教授のポジションを取ることが出来るかなと考えました。
続く。


ぼちぼち今の職を得るまでの話とか書いていこうと思います。
長くなるか短くなるかわからないけど、思いつくままに、その時考えていたことを掘り返してみたいと思います。
長い間のポスドク生活の中で、日本に帰りたいと思い始めたのはフィンランドにいるころだと思う。
最初にチェコにいたところは日本に帰りたいとか全然思わなかったし、このまま海外で就職できるならそれでもいいかなと考えていた。
それがいつの間にか日本に帰りたいという思いに変わっていました。
情けないと思われても別にいいです。それが自分の正直な気持ちだし。
なんで今のような状態の日本に帰ってきたいのかとよく聞かれたけど、金のこともあるし老後のこともあるし、親のこともある。
なにより日本が恋しかったわけだけどさ。
ちょっとチェコ時代あたりから振り返りたいと思う。
最初にチェコに居た頃はすべてが新鮮でとにかく飽きると言うことがなかったように思う。
今だからいうけど、当時のチェコの給与は17000コルナぐらい。
そこから税金とか家賃を引かれると8000コルナぐらい残る。
当時のレートで3万円ぐらい手元に残ることになる。
そんな給与でも楽しく生活していたのは、研究もそれなりに充実していたし、友達もたくさんできたからじゃないかなと思う。
その頃のおいらは日本への応募なんてほとんど出してなかったと思う。
出していたとしてもポスドクとか。
チェコの後もどこか海外で頑張るんだという気持ちが強くて、海外ポスドクばかり出していたと思う。
30代前半の自分。ほんと若さってすごいわと今更ながら思う。
チェコにしばらく居ることになるかなと思っていたら、金がなくなったので出ていってと言われたのが1年を少し過ぎたぐらいの頃。5年ぐらい居られると聞いていたので、なんじゃそりゃって思ったけど、とにかく居られないってんだから必死に職を探しますわ。
必死になると見つかるもので、東京の大学にポスドクのポジションを得たのであります。
んで2年のチェコ生活を終えて東京へ。
2年チェコに居て出来た貯金は40万円ぐらい?こんな金は東京でははした金です。
アパートを借りて生活用品をそろえたら500円しか余りませんでした。
給与が出るまで1ヶ月待たないといけなかったので、友達から金を借りたりして・・・。
昼飯も節約のために毎日弁当。
100円ショップとかに遠出して、おかずを仕入れたりできる節約はほとんどやっていたと思う。
大学ではセミナー係に任命されて、セミナーのアレンジと話し手の接待役などを仰せつかりました。
接待は夕方に飲みに行くことが多いんだけど、飲みに行く金もない訳です。
なんで、ほとんど断らざるを得ませんでした。今考えてもほんと申し訳なかった。
給与を貰って数ヶ月経ってだいぶ余裕は出てきたけど、赴任から最初の半年を過ぎると給与が半分になるという契約だったので(研究予算の都合上そういうシステムだった)、半年以内にどこか移動しようと必死こいて公募に出しました。この頃が自分の中で第一次公募ブーム。国内も国外も所構わず出しました。ぶっちゃけ公募だけ書いていてほとんど研究が出来なかったという(笑
そんな中で某高専から面接に呼ばれました。
結構あっさり呼ばれたので、こんなもんなのかと舐めてかかったのが悪かったのか、面接では大失敗。
模擬授業も受け答えも最悪だったと思う。
この時の失敗があるから、今回うまくいったのかもだけど、この失敗は後々までずっと引っ張ることになりました。
その後は公募はなしのつぶてでさてどうしたもんだと思っていたのですが、日本学術振興機構というところの二国間交流というポスドクのポジションを得て、フィンランドに行くことが決まりました。
決まったのが2005年の1月ぐらいだったかな。
4月から給与が半分になるって話だったので、ぎりぎり何とかなったという感じ。
個人的には、まだまだ海外でやりたかったので、決まったときには飛び上がって喜びました。
30代真ん中ぐらいの自分。もう考えないといけない年なのにまだまだ若いといいますか。
ちょっとは考えろと今の自分から言いたいもんだ。
で、再び欧州での生活が始まりました。
続く。


今日は大学院時代の先輩が視察に来てくれました。
先輩は関東の私立大学で働いており、こちらではいろいろ打ち合わせをいたしました
先輩とはかれこれ18年ぐらいの付き合いでしょうか。
おいらが博士課程に入学したころの指導教官の年齢に今はなってしまったのですが、そう思うと信じられないし、時の流れを感じずにはいられません
遠い所から来ていただいたので、夜はもちろん接待です!
あんきもー

さしみもりあわせー


そして締めにふぐちりです

食いすぎました
この後は喫茶店に移動して、積もり積もった話をしました。
大学院生時代のころの仲間は今どうなっているか、指導教官はどうしているか(二人とも同じ指導教官だった)などなど。
こんな関係をいつまでも保ちたいものです
明日も打ち合わせをして、先輩はお昼ぐらいに帰る予定です。
ブログランキングの参加しています。応援よろしくヽ(・∀ ・)ノ
先輩は関東の私立大学で働いており、こちらではいろいろ打ち合わせをいたしました

先輩とはかれこれ18年ぐらいの付き合いでしょうか。
おいらが博士課程に入学したころの指導教官の年齢に今はなってしまったのですが、そう思うと信じられないし、時の流れを感じずにはいられません

遠い所から来ていただいたので、夜はもちろん接待です!
あんきもー


さしみもりあわせー



そして締めにふぐちりです


食いすぎました

この後は喫茶店に移動して、積もり積もった話をしました。
大学院生時代のころの仲間は今どうなっているか、指導教官はどうしているか(二人とも同じ指導教官だった)などなど。
こんな関係をいつまでも保ちたいものです

明日も打ち合わせをして、先輩はお昼ぐらいに帰る予定です。


昨日は、業務と議論で帰ってきたのが23時30分。
帰ってきてからさらにスカイプで議論をして、寝たのが2時ぐらい。
んで、今日は起きたのが9時ちょっと前。
普段それなりに早起きだから、どうしても目が覚めちゃうんだよねえ
で、起きたはいいけどリビングでうつらうつらして、気が付けば昼の12時
お昼ご飯を適当に済ませて、洗濯物を干して午後1時ぐらい。
そこからリビングでうつらうつらして、気が付けば午後の6時
どんだけ寝てんだよ
よっぽど疲れているのか?
まあ、疲れることがいろいろあったのは事実。
んで、午後の8時ぐらいまで再びうつらうつらしていると同僚から電話が
気分転換にドライブに行こうというお誘い
家から1日出ていなかったし、おいらも気分転換したかったのでいくことにしました。
んで2時間ほど適当にドライブして帰宅。
ちょっとだけ気が晴れた気がする。
明日はちょいと仕事に行かないといけないので、1日寝るのはありだったと思う。
また、明日からがんばりませう
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帰ってきてからさらにスカイプで議論をして、寝たのが2時ぐらい。
んで、今日は起きたのが9時ちょっと前。
普段それなりに早起きだから、どうしても目が覚めちゃうんだよねえ

で、起きたはいいけどリビングでうつらうつらして、気が付けば昼の12時

お昼ご飯を適当に済ませて、洗濯物を干して午後1時ぐらい。
そこからリビングでうつらうつらして、気が付けば午後の6時

どんだけ寝てんだよ

よっぽど疲れているのか?

まあ、疲れることがいろいろあったのは事実。
んで、午後の8時ぐらいまで再びうつらうつらしていると同僚から電話が

気分転換にドライブに行こうというお誘い

家から1日出ていなかったし、おいらも気分転換したかったのでいくことにしました。
んで2時間ほど適当にドライブして帰宅。
ちょっとだけ気が晴れた気がする。
明日はちょいと仕事に行かないといけないので、1日寝るのはありだったと思う。
また、明日からがんばりませう



本日はバレンタインデーでしたが、この日に恒例の過去のバレンタインデーの記事を振り返ってみたいと思いますw
2012年2月14日ー何も記事書いてないけど、この日は今の職場の内定をもらった日だったw
2011年2月14日ーここでは振り返っていますねw
2010年2月14日ー記事は書いているけど、バレンタインデーについてはふれておらず。
2009年2月14日ー2月15日に記事を書いていました。こちらです。
2008年2月14日ーインフルエンザのため更新なし。なむいw
2007年2月14日ーちょうど記事が休み。その前後も話題に触れておらず
2006年2月14日ー2月15日にバレンタインデーのことに書いています。
で、今日は学生さんからチョコを4つほどもらいました。
ありがとうございました
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2012年2月14日ー何も記事書いてないけど、この日は今の職場の内定をもらった日だったw
2011年2月14日ーここでは振り返っていますねw
2010年2月14日ー記事は書いているけど、バレンタインデーについてはふれておらず。
2009年2月14日ー2月15日に記事を書いていました。こちらです。
2008年2月14日ーインフルエンザのため更新なし。なむいw
2007年2月14日ーちょうど記事が休み。その前後も話題に触れておらず
2006年2月14日ー2月15日にバレンタインデーのことに書いています。
で、今日は学生さんからチョコを4つほどもらいました。
ありがとうございました



今週いっぱいで授業は終わりなんですが、毎日眠くてなんか仕事の効率が上がりません。
週末にIKEAにいって、遅くに帰ってきて組み立てまでやってしまったから、
そのときの疲れが抜け切れてないといいますか。
なんか年なのか、原因がよくわからん疲れってあるんすよね。
若いときと比べて、疲れていないときの方が少ないというか。
気持ちだけは大学生の頃と変わってないけど、体はそうじゃないんだなあ。
とまとまりのない文章ですが、疲れているので今日はこの辺でw
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週末にIKEAにいって、遅くに帰ってきて組み立てまでやってしまったから、
そのときの疲れが抜け切れてないといいますか。
なんか年なのか、原因がよくわからん疲れってあるんすよね。
若いときと比べて、疲れていないときの方が少ないというか。
気持ちだけは大学生の頃と変わってないけど、体はそうじゃないんだなあ。
とまとまりのない文章ですが、疲れているので今日はこの辺でw


GWにもてぎで自転車耐久レースを行っています。
http://motegi7h.runandbike.jp/index.html
興味があって、前から出てみたいなと思っていたのですが、日本に帰ってきたし出ることも検討中。
というわけで今職場でメンバーを集めております。
7時間コースに出ようかと考え中ですが、出るならそれまでに訓練しないとね
で、くそ眠いのでとっとと寝ます^^;
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http://motegi7h.runandbike.jp/index.html
興味があって、前から出てみたいなと思っていたのですが、日本に帰ってきたし出ることも検討中。
というわけで今職場でメンバーを集めております。
7時間コースに出ようかと考え中ですが、出るならそれまでに訓練しないとね

で、くそ眠いのでとっとと寝ます^^;


昨日は職場の同僚とIKEA新三郷店に行ってきました。
日本に帰ってきてもIKEA大好き
まじで近くにできて欲しいけど、いろんな意味でここにIKEAができることはあり得ない。
車で2時間ぐらいなので、まあ頑張ればいけなくはないから、まとめ買いすればいいんだけど。
と言うわけで、IKEA FAMILY CARDも作ったことだし、行けるときに行かないとね!
途中いろんなところによったので、IKEAに到着したのは16時ぐらい

そして、連休の中日ということで激混み
お休みのフィンランドやチェコでもここまでこまねえだろ
買うものは決まっていたので、人混みをかき分けて必要なものの列番号と棚番号をメモって、倉庫へと向かいます
今回はオフィス用の机とか買ったのですが、大きい荷物を転がしながら、レジまで向かうのが一苦労。
レジも長蛇の列になっていて、会計まで20分ぐらい待たされたな
チェコのIKEAでも思ったんだけど、みんななんでこんなに買い物する必要あんのよとか思ったりする←人のことはいえない。
不景気なんてどこ吹く風です
無事に買い物を済ませて、今度はLalaport新三郷に服を買いにいきます
お店が多いので選択肢もいっぱい。びば都会であります
結局新三郷を出発したのは21時ぐらい。
高速道路をぶっ飛ばして地元には23時ぐらいに着きました。
ちょっとだけ遠いけど、IKEAは相変わらず楽しいですね。
おまけに富士山を拝むこともできました

リフレッシュもできたし、また週明けから仕事を頑張りましょう~。
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日本に帰ってきてもIKEA大好き

まじで近くにできて欲しいけど、いろんな意味でここにIKEAができることはあり得ない。
車で2時間ぐらいなので、まあ頑張ればいけなくはないから、まとめ買いすればいいんだけど。
と言うわけで、IKEA FAMILY CARDも作ったことだし、行けるときに行かないとね!
途中いろんなところによったので、IKEAに到着したのは16時ぐらい


そして、連休の中日ということで激混み

お休みのフィンランドやチェコでもここまでこまねえだろ

買うものは決まっていたので、人混みをかき分けて必要なものの列番号と棚番号をメモって、倉庫へと向かいます

今回はオフィス用の机とか買ったのですが、大きい荷物を転がしながら、レジまで向かうのが一苦労。
レジも長蛇の列になっていて、会計まで20分ぐらい待たされたな

チェコのIKEAでも思ったんだけど、みんななんでこんなに買い物する必要あんのよとか思ったりする←人のことはいえない。
不景気なんてどこ吹く風です

無事に買い物を済ませて、今度はLalaport新三郷に服を買いにいきます

お店が多いので選択肢もいっぱい。びば都会であります

結局新三郷を出発したのは21時ぐらい。
高速道路をぶっ飛ばして地元には23時ぐらいに着きました。
ちょっとだけ遠いけど、IKEAは相変わらず楽しいですね。
おまけに富士山を拝むこともできました


リフレッシュもできたし、また週明けから仕事を頑張りましょう~。


チェコにいたときに、博士課程のチェコ人学生の指導教官でした。正確には日本にいる今も指導教官です。
博士課程の指導教官とは卒研の指導教官と同じような役割を果たさねばなりませんが、卒研よりもっとシビアです。
大学を卒業して進学すると大学院修士課程、それを終えて進学すると博士課程となりますが、各段階で学士、修士、博士と学位があがり、卒業論文、学士論文、博士論文を書く必要があります。
後にいくほど、取得は難しくなって、博士の学位を取るには、査読付きの学術雑誌に3本ぐらい論文を載せて、学会などでも何度か発表する必要があります。それらの成果を、自分の結果とその背景とともに博士論文にまとめるのです。
指導教官はそれらが達成されるように指導する必要があります。ですから、学生の側に居た方が進みは早いし、やりやすいのですが、日本に帰ることになってしまって、指導はチェコに居たときのようにはできなくなりました。
チェコ人の学生にはその点を申し訳なく思っているのですが、もちろん博士の学位を取ってもらうまでは、スカイプなどを使って指導を行うことになっています。
昨年、学生と2本論文を書き、幸いそれらは査読付きの学術雑誌に載りました。国際学会でも発表していますし、今3本目の論文を書いています。
というわけで、今年の9月に博士の学位をとれそうな目処がついたので、現在博士論文を書いてもらっています。今は書く内容について議論をしたりしています。
9月には博士論文の提出があり、内容を主審査員の私と副審査員で問題がないか吟味します。また、内容について発表会を行い、質疑応答を経て、問題なければ博士の学位取得となります。なので、夏に1ヶ月ほどチェコに行って最後の指導と審査を行ってくる予定です。
ここまでくるのに3年ちょっとかかりました。最初の頃は、なかなか思うようにいかなかったのですが、最近学生はめきめきと力をつけてきて、もう博士をとれる段階だなと思うようになりました。人一人を育て上げるのは大変なのだなと実感しています。
あと少しなので、学生が無事に学位が取れるように頑張りたいと思います。
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博士課程の指導教官とは卒研の指導教官と同じような役割を果たさねばなりませんが、卒研よりもっとシビアです。
大学を卒業して進学すると大学院修士課程、それを終えて進学すると博士課程となりますが、各段階で学士、修士、博士と学位があがり、卒業論文、学士論文、博士論文を書く必要があります。
後にいくほど、取得は難しくなって、博士の学位を取るには、査読付きの学術雑誌に3本ぐらい論文を載せて、学会などでも何度か発表する必要があります。それらの成果を、自分の結果とその背景とともに博士論文にまとめるのです。
指導教官はそれらが達成されるように指導する必要があります。ですから、学生の側に居た方が進みは早いし、やりやすいのですが、日本に帰ることになってしまって、指導はチェコに居たときのようにはできなくなりました。
チェコ人の学生にはその点を申し訳なく思っているのですが、もちろん博士の学位を取ってもらうまでは、スカイプなどを使って指導を行うことになっています。
昨年、学生と2本論文を書き、幸いそれらは査読付きの学術雑誌に載りました。国際学会でも発表していますし、今3本目の論文を書いています。
というわけで、今年の9月に博士の学位をとれそうな目処がついたので、現在博士論文を書いてもらっています。今は書く内容について議論をしたりしています。
9月には博士論文の提出があり、内容を主審査員の私と副審査員で問題がないか吟味します。また、内容について発表会を行い、質疑応答を経て、問題なければ博士の学位取得となります。なので、夏に1ヶ月ほどチェコに行って最後の指導と審査を行ってくる予定です。
ここまでくるのに3年ちょっとかかりました。最初の頃は、なかなか思うようにいかなかったのですが、最近学生はめきめきと力をつけてきて、もう博士をとれる段階だなと思うようになりました。人一人を育て上げるのは大変なのだなと実感しています。
あと少しなので、学生が無事に学位が取れるように頑張りたいと思います。


昨日、JALから突然電話が来た
3月にJALを使ってプラハに行くのだが、それについての電話かなと思ったら、案の定そうだった。
もしかして
「お客様を今回ビジネスクラスにアップグレードさせていただきます」
なんて連絡かも
と妄想したのですが、そうではなく岐路のヘルシンキ便が運行休止になったとの連絡でした
行きは、
羽田ーパリープラハ
帰りは、
プラハーヘルシンキー成田
という予定だったのですが、その帰り便が運行休止になって
プラハーパリー成田
となるとのこと。
パリ経由遠回りじゃん
で、理由を聞いてみると
ヘルシンキ便はボーイング787を使う予定だったから
とのこと。
そう、あのトラブルを続出したボーイング787。
ヘルシンキ便はあれを使う予定だったのかあ・・・
で、今あの機体は調査中なので、ヘルシンキ便は運行休止というわけです。
それでパリ便に振り替えになったわけですが、パリで6時間待ちとかいいやがります
6時間では、パリ市内に遊びに行くこともできないし、プラハ発の便をもっと遅いやつにしろとリクエスト。
で、2時間待ちぐらいのやつがあったので、そちらに振り替えてもらいました
まあ、パリ経由で遠回りになるのはいいんだけど、ヘルシンキ空港でムーミンのマグカップを買おうと思っていたので、かなりがっかりです
実は、先々週ぐらいに7年ぐらい苦楽をともにしたムーミンマグカップを割ってしまって、その代わりを買おうと思ったんですよねえ
まあ、仕方なし
あとは、当日にビジネスクラスにアップグレードされることを祈りましょう
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3月にJALを使ってプラハに行くのだが、それについての電話かなと思ったら、案の定そうだった。
もしかして
「お客様を今回ビジネスクラスにアップグレードさせていただきます」
なんて連絡かも

と妄想したのですが、そうではなく岐路のヘルシンキ便が運行休止になったとの連絡でした

行きは、
羽田ーパリープラハ
帰りは、
プラハーヘルシンキー成田
という予定だったのですが、その帰り便が運行休止になって
プラハーパリー成田
となるとのこと。
パリ経由遠回りじゃん

で、理由を聞いてみると
ヘルシンキ便はボーイング787を使う予定だったから
とのこと。
そう、あのトラブルを続出したボーイング787。
ヘルシンキ便はあれを使う予定だったのかあ・・・

で、今あの機体は調査中なので、ヘルシンキ便は運行休止というわけです。
それでパリ便に振り替えになったわけですが、パリで6時間待ちとかいいやがります

6時間では、パリ市内に遊びに行くこともできないし、プラハ発の便をもっと遅いやつにしろとリクエスト。
で、2時間待ちぐらいのやつがあったので、そちらに振り替えてもらいました

まあ、パリ経由で遠回りになるのはいいんだけど、ヘルシンキ空港でムーミンのマグカップを買おうと思っていたので、かなりがっかりです

実は、先々週ぐらいに7年ぐらい苦楽をともにしたムーミンマグカップを割ってしまって、その代わりを買おうと思ったんですよねえ

まあ、仕方なし

あとは、当日にビジネスクラスにアップグレードされることを祈りましょう



今日は落ち着いて研究に専念できた日でありました。
現在、論文執筆中。
今週末にはなんとか仕上げて、共同研究者に送りたいところです
ともあれ、授業もあと1週間で終わりですし、終わったらしばらくは研究三昧できそうです。
それまで頑張るといたしましょう
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現在、論文執筆中。
今週末にはなんとか仕上げて、共同研究者に送りたいところです

ともあれ、授業もあと1週間で終わりですし、終わったらしばらくは研究三昧できそうです。
それまで頑張るといたしましょう



今日は東京で大雪予報というわけで、朝から電車は激混みしていたみたいですね。
おいらも自転車通勤ゆえ、雪は大敵。というか雪が降ったらバスで行くしかない。
と思ったのですが、幸いにも(?)宿泊業務だったので、雪の中を通勤ということにはならず
とはいっても実際に雪が降ったのは、朝8時とかそんぐらい?
しばらくして雨に、帰るころには雨も止んでいました。
ほんとこの辺は雪が積もらない。
フィンランドとチェコで雪はもうおなか一杯なので、うれしい限り。
冬はほとんど晴れってのもうれしいですね
というわけで、今日も疲れまくっているのでとっとと寝ることにします。
なんか最近こんな終わり方ばっかりだな
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おいらも自転車通勤ゆえ、雪は大敵。というか雪が降ったらバスで行くしかない。
と思ったのですが、幸いにも(?)宿泊業務だったので、雪の中を通勤ということにはならず

とはいっても実際に雪が降ったのは、朝8時とかそんぐらい?

しばらくして雨に、帰るころには雨も止んでいました。
ほんとこの辺は雪が積もらない。
フィンランドとチェコで雪はもうおなか一杯なので、うれしい限り。
冬はほとんど晴れってのもうれしいですね

というわけで、今日も疲れまくっているのでとっとと寝ることにします。
なんか最近こんな終わり方ばっかりだな



今日はそれといってネタはありません。
といって終わるのも、なんなのでちょっとだけ1日の出来事を。
朝起きたら雨が降っていて、自転車で行くのがメンドイなと思っていたところに、同じ建物に住む同僚を出くわして、そのまま車に乗せてもらいました。
まだ、風邪で調子が悪かったので、大いに助かりました、はい。
背中がずきずき痛む変な風邪で、車でゆすられている間にも痛い。
職場についてからパブロン飲んで、ちょっと痛みが引いたけど、頭はぼーっとするし、仕事もはかどらない。
午後に共同研究者と3時間ほど議論をした後に病院にいって、インフルエンザかどうか一応調べてもらいました。
今はすぐにその場でインフルかわかるんですねー
で、結果としては何事もなし。A型でもB型でもない。
薬だけもらってとっと家に帰りました
薬を飲んだ後に激眠くなるが、それが過ぎるとだいぶ調子が良くなりました。
さすがに市販の薬より強力である
週末は都心に出る予定だし、明日は仕事があるしなのでゆっくり寝るとしますか
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といって終わるのも、なんなのでちょっとだけ1日の出来事を。
朝起きたら雨が降っていて、自転車で行くのがメンドイなと思っていたところに、同じ建物に住む同僚を出くわして、そのまま車に乗せてもらいました。
まだ、風邪で調子が悪かったので、大いに助かりました、はい。
背中がずきずき痛む変な風邪で、車でゆすられている間にも痛い。
職場についてからパブロン飲んで、ちょっと痛みが引いたけど、頭はぼーっとするし、仕事もはかどらない。
午後に共同研究者と3時間ほど議論をした後に病院にいって、インフルエンザかどうか一応調べてもらいました。
今はすぐにその場でインフルかわかるんですねー

で、結果としては何事もなし。A型でもB型でもない。
薬だけもらってとっと家に帰りました

薬を飲んだ後に激眠くなるが、それが過ぎるとだいぶ調子が良くなりました。
さすがに市販の薬より強力である

週末は都心に出る予定だし、明日は仕事があるしなのでゆっくり寝るとしますか



昨日は昼ぐらいにのこのこと家から職場に向かったのですが、外に出てびっくり!
あったっけええええええ!
気温的には10度代後半?
あまりの暖かさにびっくりしました。
そんなことはフィンランドでもチェコでもありましたが、そういうときってちょっとうれしくなるんですよね。
たとえばこんな記事を書いてますね。
お天気散歩
寒い国の人って天気の話ばっかするんですけど、ご多分に漏れず私のブログもそんな傾向があったと思います。
つか、今もありますね
これも欧州生活の後遺症と言うことで
天気がよかったので洗濯をしたり、お部屋の掃除をしたりして過ごしました、職場に行く元気はありませんでした。
なんか風邪のせいなのか関節痛がひどくて、家でうだっておりました。
パブロン飲んでまあましになったのですが、明日も仕事ですゆえ、とっとと寝ることにしますかね
東南アジア旅行記はいつ終わることやら
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あったっけええええええ!
気温的には10度代後半?
あまりの暖かさにびっくりしました。
そんなことはフィンランドでもチェコでもありましたが、そういうときってちょっとうれしくなるんですよね。
たとえばこんな記事を書いてますね。
お天気散歩
寒い国の人って天気の話ばっかするんですけど、ご多分に漏れず私のブログもそんな傾向があったと思います。
つか、今もありますね

これも欧州生活の後遺症と言うことで

天気がよかったので洗濯をしたり、お部屋の掃除をしたりして過ごしました、職場に行く元気はありませんでした。
なんか風邪のせいなのか関節痛がひどくて、家でうだっておりました。
パブロン飲んでまあましになったのですが、明日も仕事ですゆえ、とっとと寝ることにしますかね

東南アジア旅行記はいつ終わることやら



かなり間があきましたが前回の続きです。
前回までの内容はこちら。
東南アジアどうでしょう7
東南アジアどうでしょう6
東南アジアどうでしょう5
東南アジアどうでしょう4
東南アジアどうでしょう3
東南アジアどうでしょう2
東南アジアどうでしょう1
12月26日、アオナンビーチでの滞在を終えて、タイのバンコクへと向かいます

さらば、アオナン
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前回までの内容はこちら。
東南アジアどうでしょう7
東南アジアどうでしょう6
東南アジアどうでしょう5
東南アジアどうでしょう4
東南アジアどうでしょう3
東南アジアどうでしょう2
東南アジアどうでしょう1
12月26日、アオナンビーチでの滞在を終えて、タイのバンコクへと向かいます


さらば、アオナン


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昨日ぐらいから、鼻水がじゅるじゅる流れるようになってしまい、全く仕事にならなくなったので風邪薬を飲んで、鼻水を止めました
そして1日頭がぼぉーっとするおきまりのフェイズへw
今日は結構時間があったので、研究時間が確保できたのに、この状態では研究もできるはずなし。
というわけで、症状が治まるようにとっとと寝ることにします

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そして1日頭がぼぉーっとするおきまりのフェイズへw
今日は結構時間があったので、研究時間が確保できたのに、この状態では研究もできるはずなし。
というわけで、症状が治まるようにとっとと寝ることにします




去年の今頃ってチェコの研究所に所属していて、出張で日本に来ていたんだよなあ
んで、今の職場の見学にきて、そのまま日本にいて面接に呼ばれて内定をもらうと。
あれから1年ぐらいしか経っていないのだが、この1年はあまりにもいろいろありすぎたなあ・・・。
振り返ってきて、日本に帰ってきたのはなんだかんだ正解かなとは思う。
精神的に不安定だったプラハ生活より安定しているし、収入ももちろん増えた
老後とか、日本での生活が難しくなって海外に出る羽目になったとしても、その資金を貯める上でも、給与がそれなりにある日本で稼ぐことができるのは大きい。今の貯金はチェコだと数年かかるレベルだしなあ。
まあ、一方で研究する時間は激減
時間を失って金を得るという感じになっている。
その時間は、講義やその準備に費やされているわけだが、これは今までに経験が少なかったので、講義のスキルを上げるという意味でよいと思う。これは次のステップに活かせるスキルだしね。
そのステップアップをするには私には多くの時間が残されていないように思う。
ここ数年の間でステップアップしないとその先には進めないと思うので、なんとか頑張りたいと思う
んでは、明日も朝早いので寝ます
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んで、今の職場の見学にきて、そのまま日本にいて面接に呼ばれて内定をもらうと。
あれから1年ぐらいしか経っていないのだが、この1年はあまりにもいろいろありすぎたなあ・・・。
振り返ってきて、日本に帰ってきたのはなんだかんだ正解かなとは思う。
精神的に不安定だったプラハ生活より安定しているし、収入ももちろん増えた

老後とか、日本での生活が難しくなって海外に出る羽目になったとしても、その資金を貯める上でも、給与がそれなりにある日本で稼ぐことができるのは大きい。今の貯金はチェコだと数年かかるレベルだしなあ。
まあ、一方で研究する時間は激減

時間を失って金を得るという感じになっている。
その時間は、講義やその準備に費やされているわけだが、これは今までに経験が少なかったので、講義のスキルを上げるという意味でよいと思う。これは次のステップに活かせるスキルだしね。
そのステップアップをするには私には多くの時間が残されていないように思う。
ここ数年の間でステップアップしないとその先には進めないと思うので、なんとか頑張りたいと思う

んでは、明日も朝早いので寝ます

