
チェコ滞在最終日はソラさんとドライブに出かけた。前回のモラビア世界遺産めぐりに続く、今回の我々のターゲットはチェコのゲットーのあったテレジーンという町である。テレジーンはプラハから車で1時間ほどにある小さな街だ。
私は午前中お土産などの買って、午後地下鉄A線の最終駅 Dejvická 駅で待ち合わせをした。70リットルのザックをしょって町をうろつく私の姿は、さぞバックパッカーぽかったことでしょう。私もこんな重いのしょいたくなかったけど、ホテルをチェックアウトする都合上仕方なし。
ソラさんと合流後、プラハ中心部を抜け、高速道路をかっ飛ばしてテレジーンへ向かう。プラハの町並みを抜けしばらくすると風景は美しいボヘミア台地のものに変わる。我々の進む先にはドイツとの国境とにまたがる山々が見える。プラハから流れるブルタバ川はドイツに入ってエルベ川と名前を変え、あの山々と合わさってザクセンのスイスと呼ばれる風景美を織り成している。
途中、形のきれいな小高い山が見えた。ソラさんが言うには、あれはチェコの聖地であるという。その割りに近くの高速道路の出口には何のインフォメーションもない。半信半疑であったが、折角の機会であるしテレジーンの帰りに寄ってみることにした。
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プラハからアプローチすると、テレジーンの町に入る前にテレジーンのゲットーのあった建物が見えてくる。正確には、もともとはゲットーではなく、18世紀ごろチェコがハウスブルグ帝国に支配されていた頃に作られた要塞である。作られた当初は政治犯などが収容され、後の第一次世界大戦中は、それのきっかけとなったオーストリア皇太子フェルナンドの暗殺犯も収監されたという。要塞の外には、犠牲者を弔うバラの花が墓とともに植えられている。これほど整備された風景はチェコでも珍しいと思う。墓には名前の書いているものもあれば、番号だけのものもある。並ぶ墓の先にはユダヤ教のシンボルである三角形をふたつに重ねたダビデの星が掲げられている。その下にはたくさんの暗い色の石が積んであるのだが、なぜか暗く痛々しい感じがする。
入り口で要塞とゲットー博物館の見学料180コルナを支払って入場する。簡単な英語のパンフレットをもらえるので、それを参考に見学する。このパンフレットには、この要塞の歴史が簡単に記されているが、詳しくは要塞内の博物館にも詳しく出ている。ここがゲットーとして機能し始めたのは、1940年、チェコがナチスによってドイツに併合されてからだ。主に収容された人々は、当初チェコ国籍の反ナチス運動の政治犯や共産主義者、後にイギリス、フランス人の捕虜を含む様々な国籍の人が収容された。
要塞の入り口から左に入ると見たことがある文字が門の上に飼いえてある。「働ければ自由になる」という意味のドイツ語である。同じものをポーランドのアウシュビッツでも見ることができる。地球の歩き方には、アウシュビッツでは「Arbeit」の「b」が逆さまに印字されおり、収容者のせめてもの抵抗を表している、とあるが、アウシュビッツの日本人ガイドの中谷さんは「そんなことを気にするのは日本人だけ」という。上記のようなエピソードは日本人受けするということだろう。
収容所の病室があった部屋からの風景。鉄格子越しからものを外に投げたりして、外の人間と連絡を取り合っていたという。
要塞内には地下通路がある。これはもともとあったもので、収容所の施設としては使われなかったとのこと。通路は城の外側を取り囲んでおり、なぜか城の内側に向けて銃口を入れる穴が作られている。これは中に入った敵をねらうためのものだそうだ。
地下通路を出たところは、処刑場である。ここでテレジーンでは2500人ほどのチェコ人、スロバキア人、ユダヤ人が亡くなっているが、ほとんどは劣悪な環境が原因の病気や拷問で死んでいる。処刑された人数はだいたい300人ぐらいとのこと。この首吊り台は3回使用されたものらしい。アウシュビッツにも首吊り台が残っている。そこでは、戦後アウシュビッツの所長が絞首刑されたというなんとも因果深い歴史がある。
収容施設の一部。部屋の中は小奇麗にされているが、昔の収容者の生活臭だか何かがこびりついていて、長い時間いることが耐えられないなんとも重苦しい雰囲気がある。
壁に取り付けられた看守塔。この看守塔のずっと手前にある壁から3人の収容者が脱走したのだが、その後、ナチスは見せしめに何人かをランダムに選択して脱走に使われた壁の側で処刑した。
収容者部屋。アウシュビッツと構造が似ている。広い部屋に、木組みのベットが回りに並べられており、真ん中にはテーブル、そして小さいストーブがある。
収容所の見学の後、町の中にあるゲットー資料館を見学した。内部には収容されていた子供の絵が飾ってあり、その絵から痛々しい歴史の一部を感じることができる。また、番号を振られた山積みのカバンが展示してある。これらのカバンはユダヤ人から没収したものであるが、ナチスがユダヤ人から没収する際に、返却すると信じ込ませるためにつけられたフェイクの番号であり、実際には返却されなかった。没収されたものは、アウシュビッツで見ることができるが、靴から鬘にいたる大量の没収物を見ると気分が悪くなる。
我々はこの後、チェコの聖地 Říp(ジープ)山に向かった。
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私は午前中お土産などの買って、午後地下鉄A線の最終駅 Dejvická 駅で待ち合わせをした。70リットルのザックをしょって町をうろつく私の姿は、さぞバックパッカーぽかったことでしょう。私もこんな重いのしょいたくなかったけど、ホテルをチェックアウトする都合上仕方なし。













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