海外脱落組のお気楽物理学者
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

チェコ革命
2010年02月27日 (土) | 編集 |
先週、研究所の台所に行くとこんなものがおいてありました。

s-IMG_8930.jpg

「共産主義犯罪の犠牲者への追悼碑」


といった感じの意味でしょうか?

今から62年前の1948年の2月25日、チェコでは共産党政権が成立しました。

これを書いた教授は、1968年のプラハの春のときに共産党からの迫害を逃れるために、フランスに移住したのだそうです。

丁度、台所でこれを見て、お茶を飲んでいると、他のチェコ人同僚がやってきました。

彼は最近テレビでやったドキュメンタリーの話をしてくれました。

オーストリア国境に近いブジェツラフというチェコの町の家族の話です。

彼らは、第2次世界大戦前にオーストリアに移住しました。

戦争が終わり、ある日に彼らの父親が忽然と姿を消しました。

その理由はわからないまま母親は3年前に死に、父親が亡くなったときに3歳だった息子さんが残されました。

最近、チェコのテレビ局が失踪した理由を調べたのだそうです。

当時、その父親はチェコーオーストリア国境にある川に釣りに行ったのだそうです。

そしてあるときにチェコ川の岸に渡ってしまったのだそうです。

それを見たチェコ国境警備の兵士が撃ち殺してしまいました。

撃ったあとにまだ生きていたのですが、チェコの兵士はわざとそのままにしていたそうです。

1時間後かに死んだあとにチェコ側に運び、彼は無縁仏として葬られました。

この事実はチェコ側に書類では残っているものの、オーストリア側に通達されることはありませんでした。

それ故、失踪の理由は分らなかったのです。

息子さんは小さい頃、毎日父親が帰ってくるのを信じて待っていたのだそうです。

この話は、同僚の奥さんの親類の話です。


父親を撃った兵士はまだ生きているそうで、これをつきとめたチェコのテレビ局はインタビューをしようとしましたが、断られたとのことです。

当時、チェコ国境を警備していた兵士で今生きている人は、組合みたいなものを現在作り、当時自分達はチェコの平和を守った、いいことをしたのだと主張をしているんだそうです。

話を聞いてコメントを返すことは出来ませんでした。


banner_02.gifブログランキング参加中です。1日1クリックしていただくと順位が上がります。応援よろしくお願い致します(ぺこ)
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。