海外脱落組のお気楽物理学者
日本に帰ろう1
2013年02月19日 (火) | 編集 |

ぼちぼち今の職を得るまでの話とか書いていこうと思います。

長くなるか短くなるかわからないけど、思いつくままに、その時考えていたことを掘り返してみたいと思います。




長い間のポスドク生活の中で、日本に帰りたいと思い始めたのはフィンランドにいるころだと思う。

最初にチェコにいたところは日本に帰りたいとか全然思わなかったし、このまま海外で就職できるならそれでもいいかなと考えていた。

それがいつの間にか日本に帰りたいという思いに変わっていました。

情けないと思われても別にいいです。それが自分の正直な気持ちだし。

なんで今のような状態の日本に帰ってきたいのかとよく聞かれたけど、金のこともあるし老後のこともあるし、親のこともある。

なにより日本が恋しかったわけだけどさ。

ちょっとチェコ時代あたりから振り返りたいと思う。

最初にチェコに居た頃はすべてが新鮮でとにかく飽きると言うことがなかったように思う。

今だからいうけど、当時のチェコの給与は17000コルナぐらい。

そこから税金とか家賃を引かれると8000コルナぐらい残る。

当時のレートで3万円ぐらい手元に残ることになる。

そんな給与でも楽しく生活していたのは、研究もそれなりに充実していたし、友達もたくさんできたからじゃないかなと思う。

その頃のおいらは日本への応募なんてほとんど出してなかったと思う。

出していたとしてもポスドクとか。

チェコの後もどこか海外で頑張るんだという気持ちが強くて、海外ポスドクばかり出していたと思う。

30代前半の自分。ほんと若さってすごいわと今更ながら思う。



チェコにしばらく居ることになるかなと思っていたら、金がなくなったので出ていってと言われたのが1年を少し過ぎたぐらいの頃。5年ぐらい居られると聞いていたので、なんじゃそりゃって思ったけど、とにかく居られないってんだから必死に職を探しますわ。

必死になると見つかるもので、東京の大学にポスドクのポジションを得たのであります。

んで2年のチェコ生活を終えて東京へ。

2年チェコに居て出来た貯金は40万円ぐらい?こんな金は東京でははした金です。

アパートを借りて生活用品をそろえたら500円しか余りませんでした。

給与が出るまで1ヶ月待たないといけなかったので、友達から金を借りたりして・・・。

昼飯も節約のために毎日弁当。

100円ショップとかに遠出して、おかずを仕入れたりできる節約はほとんどやっていたと思う。


大学ではセミナー係に任命されて、セミナーのアレンジと話し手の接待役などを仰せつかりました。

接待は夕方に飲みに行くことが多いんだけど、飲みに行く金もない訳です。

なんで、ほとんど断らざるを得ませんでした。今考えてもほんと申し訳なかった。



給与を貰って数ヶ月経ってだいぶ余裕は出てきたけど、赴任から最初の半年を過ぎると給与が半分になるという契約だったので(研究予算の都合上そういうシステムだった)、半年以内にどこか移動しようと必死こいて公募に出しました。この頃が自分の中で第一次公募ブーム。国内も国外も所構わず出しました。ぶっちゃけ公募だけ書いていてほとんど研究が出来なかったという(笑

そんな中で某高専から面接に呼ばれました。

結構あっさり呼ばれたので、こんなもんなのかと舐めてかかったのが悪かったのか、面接では大失敗。

模擬授業も受け答えも最悪だったと思う。

この時の失敗があるから、今回うまくいったのかもだけど、この失敗は後々までずっと引っ張ることになりました。



その後は公募はなしのつぶてでさてどうしたもんだと思っていたのですが、日本学術振興機構というところの二国間交流というポスドクのポジションを得て、フィンランドに行くことが決まりました。

決まったのが2005年の1月ぐらいだったかな。

4月から給与が半分になるって話だったので、ぎりぎり何とかなったという感じ。

個人的には、まだまだ海外でやりたかったので、決まったときには飛び上がって喜びました。

30代真ん中ぐらいの自分。もう考えないといけない年なのにまだまだ若いといいますか。

ちょっとは考えろと今の自分から言いたいもんだ。

で、再び欧州での生活が始まりました。


続く。

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