
チェコでのおいらの家は、前も書いたように
ホテルマザンカ
という所ですが、ホテルというよりは学生寮といった感じの施設です。
8階建てで2階と8階の一部のみをホテルとして使い、他の階の部屋は寮という構成です。

前に出した写真ですが、また出しましょう
やっぱ汚いホテルだねー
ホテル(以下「寮」と呼びます)はチェコ科学アカデミー所有の寮で関係者以外は借りることができません。そういった意味では身元がきちんとしている人だけということになるので治安はいいといえるでしょう
おいらがここで嫌いだったのはいろいろな制約があったこと
まず、この寮はホテルでもあるんで、一応受付があって外に出るたんびに鍵を預けなくてはいけません。ちょっと買い物って時にも鍵を預けなくてはいけません
後、お掃除も平日は毎日入るので、だらだら寝ていると廊下で掃除しているおばちゃんの物音で起こされることになります。
この掃除のおばちゃん、朝の8時ぐらいから張り切って掃除をしてくれるもんだから、おかげさまでチェコにいるときは寝坊しないで済みましたが
その他、学生寮のように規則が多いです。
1.共用台所は使った後はきれいにしておくこと
2.夜は11時までしか台所は使えない(わざわざ鍵がかかる)
3.洗濯は夜の9時までに終えること(地下に共用のが数台あるだけ)
4.訪問者は10時までにホテルを退出すること
....
などなど
ま、門限がないのは救いね
仮に夜中に帰ってきても、受付のおばちゃんを
「ブゥゥゥゥゥーーー!」
というやかましいベルでたたき起こして、ドアを開けてもらい部屋の鍵をもらうんで問題ないです。でも、しょっちゅうこれをやるのは気が引けるので、暗に門限があるように感じてしまうかも
いろいろ制約はあれど、住むにはもちろん問題ありません
でもね...
これおいらの憧れていた欧州生活とは程遠いんですよ
普通に街中のアパートで暮らす....
それだけなんですけど、このホテルはおいらの思い描いていたものとははるかにかけ離れている...。
なんで今頃学生寮のような生活をしないといけないのか
それでも、よかったかなあと思えるのは...

友達がいっぱいできたことでしょうか?
日本人同僚がそこにいたことはもちろんですが、他にいろいろな国から来た人と友達になりました
日本人以外で特に仲がよかったのは、台所でよく会ったインド人の Pradeepさん、そして隣人のロシア人 Eugene さんです。
Pradeepさんとは夕食時にかなりの確率で台所で会い、お互いの作っているものを、観察したりしてそのうち仲良くなりました。しかし、インド人の食事を見て思ったことは
ほんと毎日カレーw
これまで冗談かと思っていたけどほんとなんですわ。さすがに毎日同じ具のカレーではないようですが、基本的に香辛料は同じ。よくも飽きもしないものだと関心しました。
しかも彼ベジタリアンなんで、お肉はご法度。
これ肉食中心のチェコでは外食できないことを意味します
なので、彼の職場での食事はいつもクッキーとかパンとかおなかにたまらないものだったようです
そんな彼なので、夕食は時間をかけておいしいものを作るのが常のようでした。
なんどか招待されて彼のカレーを食べたことがありますが、
これまじにうまー
ですた
そんな彼と仲良くなるにはかなり時間がかかりました。というのも
英語が聞き取れない
からです
また、言葉の問題かよって感じですが、インド人の英語はまた特別。
速過ぎるのに加えて、インド訛りが入ってわけわからじ
いっつも真剣に聞かざるを得ないので、いい訓練になりました
んで、もう一人の仲のよいロシア人のEugeneさん。彼は年齢40後半のおじさん、でもなぜかポスドク。普通は助教授か教授になっていてもおかしくない年齢です。ですが、ここチェコでポスドク頑張っています。
彼はおいらの部屋のすぐ隣に住んでいたので、自然と顔を合わすことが多くいつの間にやら仲良くなりました。
ただ彼は基本的に早寝早起きだったので、いつも遅くまでおきていたおいらは迷惑をかけただろうなと今も思います。出張でしばらくいなかったりした後、彼に会うと
「お前がいない間はずいぶん静かだったぞ
」
と皮肉を言われたものです
そんな彼は、ロシア嫌いのロシア人。彼から聞いたロシアの話で良かったという話はほとんど聞きませんでした。特に崩壊後の話は暗いものが多く、これ我々が知っている以上にすさまじい話が多いです
一方で日本語を含めた日本のこともよく知っており、おいらが英語がわからなかったりすると、日本語でその単語を言って貰ったりしてとても勉強になりました
左がPradeepさん、右が Eugeneさん。一緒に夕食パーティをしたときの写真です

Pradeepさんは今はドイツのポスドク、Eugeneさんは今もプラハで働いています。今でも連絡を取り合っているよい友達です
またみんなで集まれるときがあったらいいなあ
応援よろしく
ホテルマザンカ
という所ですが、ホテルというよりは学生寮といった感じの施設です。
8階建てで2階と8階の一部のみをホテルとして使い、他の階の部屋は寮という構成です。

前に出した写真ですが、また出しましょう

やっぱ汚いホテルだねー

ホテル(以下「寮」と呼びます)はチェコ科学アカデミー所有の寮で関係者以外は借りることができません。そういった意味では身元がきちんとしている人だけということになるので治安はいいといえるでしょう

おいらがここで嫌いだったのはいろいろな制約があったこと

まず、この寮はホテルでもあるんで、一応受付があって外に出るたんびに鍵を預けなくてはいけません。ちょっと買い物って時にも鍵を預けなくてはいけません

後、お掃除も平日は毎日入るので、だらだら寝ていると廊下で掃除しているおばちゃんの物音で起こされることになります。
この掃除のおばちゃん、朝の8時ぐらいから張り切って掃除をしてくれるもんだから、おかげさまでチェコにいるときは寝坊しないで済みましたが

その他、学生寮のように規則が多いです。
1.共用台所は使った後はきれいにしておくこと
2.夜は11時までしか台所は使えない(わざわざ鍵がかかる)
3.洗濯は夜の9時までに終えること(地下に共用のが数台あるだけ)
4.訪問者は10時までにホテルを退出すること
....
などなど

ま、門限がないのは救いね

仮に夜中に帰ってきても、受付のおばちゃんを
「ブゥゥゥゥゥーーー!」
というやかましいベルでたたき起こして、ドアを開けてもらい部屋の鍵をもらうんで問題ないです。でも、しょっちゅうこれをやるのは気が引けるので、暗に門限があるように感じてしまうかも

いろいろ制約はあれど、住むにはもちろん問題ありません

でもね...
これおいらの憧れていた欧州生活とは程遠いんですよ

普通に街中のアパートで暮らす....
それだけなんですけど、このホテルはおいらの思い描いていたものとははるかにかけ離れている...。
なんで今頃学生寮のような生活をしないといけないのか

それでも、よかったかなあと思えるのは...


友達がいっぱいできたことでしょうか?

日本人同僚がそこにいたことはもちろんですが、他にいろいろな国から来た人と友達になりました

日本人以外で特に仲がよかったのは、台所でよく会ったインド人の Pradeepさん、そして隣人のロシア人 Eugene さんです。
Pradeepさんとは夕食時にかなりの確率で台所で会い、お互いの作っているものを、観察したりしてそのうち仲良くなりました。しかし、インド人の食事を見て思ったことは
ほんと毎日カレーw
これまで冗談かと思っていたけどほんとなんですわ。さすがに毎日同じ具のカレーではないようですが、基本的に香辛料は同じ。よくも飽きもしないものだと関心しました。
しかも彼ベジタリアンなんで、お肉はご法度。
これ肉食中心のチェコでは外食できないことを意味します

なので、彼の職場での食事はいつもクッキーとかパンとかおなかにたまらないものだったようです

そんな彼なので、夕食は時間をかけておいしいものを作るのが常のようでした。
なんどか招待されて彼のカレーを食べたことがありますが、
これまじにうまー

ですた

そんな彼と仲良くなるにはかなり時間がかかりました。というのも
英語が聞き取れない
からです

また、言葉の問題かよって感じですが、インド人の英語はまた特別。
速過ぎるのに加えて、インド訛りが入ってわけわからじ

いっつも真剣に聞かざるを得ないので、いい訓練になりました

んで、もう一人の仲のよいロシア人のEugeneさん。彼は年齢40後半のおじさん、でもなぜかポスドク。普通は助教授か教授になっていてもおかしくない年齢です。ですが、ここチェコでポスドク頑張っています。
彼はおいらの部屋のすぐ隣に住んでいたので、自然と顔を合わすことが多くいつの間にやら仲良くなりました。
ただ彼は基本的に早寝早起きだったので、いつも遅くまでおきていたおいらは迷惑をかけただろうなと今も思います。出張でしばらくいなかったりした後、彼に会うと
「お前がいない間はずいぶん静かだったぞ

と皮肉を言われたものです

そんな彼は、ロシア嫌いのロシア人。彼から聞いたロシアの話で良かったという話はほとんど聞きませんでした。特に崩壊後の話は暗いものが多く、これ我々が知っている以上にすさまじい話が多いです

一方で日本語を含めた日本のこともよく知っており、おいらが英語がわからなかったりすると、日本語でその単語を言って貰ったりしてとても勉強になりました

左がPradeepさん、右が Eugeneさん。一緒に夕食パーティをしたときの写真です


Pradeepさんは今はドイツのポスドク、Eugeneさんは今もプラハで働いています。今でも連絡を取り合っているよい友達です

またみんなで集まれるときがあったらいいなあ


