
おいらがチェコにいる時は、チェコ科学アカデミー物理学研究所というところで働いていたわけですが、今思うととても良い同僚に恵まれていたように思います。
まず私のボスの Jiří さん。これあえて日本語の発音で書くなら「イジー」ですが、実はそれは正確な発音ではないそうです。ここで、「ないそうです」と言うのは、私自身も発音ができないからです。それこそ、10回ぐらいトライしてみて
「あ、それ!」
と言われても、違いがわからないぐらいです。得てして我々日本人の発音は「Jizí」となってしまうようです。
ま、名前の事はともかく彼はチェコ科学アカデミーではかなりの重鎮で、国際研究協力部門のヘッドでした。
そのせいか研究所だけでなく、チェコにいることはほとんどありません。今思うと月の半分は海外に行っていたような気がします。
彼のメインオフィスは、私の働いている研究所ではなく、プラハ市街にあるチェコ科学アカデミーの本部であり、それはそれは大きな部屋と秘書が二人もいるというかなり偉い人だったのです。
そんな彼と仕事の話で議論するのは一苦労です。
応援よろしく
だって、いっつも忙しいスケジュールに割り込んでいかないといけないわけですから
彼と議論をした後に、次のスケジュールをフィックスできればそれがベストですが、それができない場合は秘書を通して日取りを決めることになります。
また、この秘書さんの一人が英語が話せなかったりするので、運良く(?)彼女が電話をとったりすると、こちらも交渉に一苦労。つたないチェコ語で「あー、うー」言いながら、ボスに取り次いでもらいます。
その秘書さんはとても気さくな方でしたが、仕事があまりに忙しいのか、途中でノイローゼになってしまいましたとさ....
なので、上記の事情から議論はもっぱらボスのオフィスでやることが多かったです。
その議論の様子も今考えると異常でしたが
秘書さんに
「お飲み物は何になさいますか?
」
と聞かれ、議論をしている間にお茶を持ってきてもらえる。そして側にはお茶請けが...
今考えると、かなり贅沢な環境ですね....。
そして議論が終わると、お昼ってことが多かったのでボスと一緒に近くのレストランへ。そして彼らは昼から飲むんですね~。
私が、
じゃなくて水を頼もうとすると
「なんだ、まーらいおん。ビール飲まないのか?小さいのでもいいからどうだ?」
って言われて「ノー」と言えない日本人の典型で
「じゃあ、ビール
で」
と顔を赤くしながら午後にまた議論をしたもんです。
もちろん頭はフルに働くはずもありませんが
最初はビール小のものがビール大になるまでそれ程時間はかかりませんでした
そしてお昼ご飯を一緒に食べるといつもお代はボス持ち
たまにはと払おうとすると
「ん?まーらいおん、何しようとしてるんだ?
。お前が何をしようとしているのかわからないぞ
」
と冗談ではぐらかすような人でしたね~。そのうちに雰囲気を察して黙って奢ってもらう事を覚えました
ボスには研究のお金の工面でもお世話になりました
数え上げればきりないですが
■最初に貸してくれた2000コルナは返す必要がないと言われた
■CERNというスイスにある大きな研究所に2回も行かせてくれた
■いろいろな会議に参加するためのお金を工面してくれた
■コンピュータを買ってくれた
....
などなど
私は彼に拾ってもらって、チェコで大きくステップアップできたと思います。彼がいなかったら今の私はいなかったことでしょう
私が研究所を去る前、それまで私のような西側からのポスドクの応募者のいなかった研究所に、応募が来るようになったとボスが言っていました。うぬぼれかもしれません、それに一役買うことができたんではないかなあと思っています
(応募者は、私やボスのやっている分野を希望して応募してきていた)
本当にお世話になりました、ボス
応援よろしく
まず私のボスの Jiří さん。これあえて日本語の発音で書くなら「イジー」ですが、実はそれは正確な発音ではないそうです。ここで、「ないそうです」と言うのは、私自身も発音ができないからです。それこそ、10回ぐらいトライしてみて
「あ、それ!」
と言われても、違いがわからないぐらいです。得てして我々日本人の発音は「Jizí」となってしまうようです。
ま、名前の事はともかく彼はチェコ科学アカデミーではかなりの重鎮で、国際研究協力部門のヘッドでした。
そのせいか研究所だけでなく、チェコにいることはほとんどありません。今思うと月の半分は海外に行っていたような気がします。
彼のメインオフィスは、私の働いている研究所ではなく、プラハ市街にあるチェコ科学アカデミーの本部であり、それはそれは大きな部屋と秘書が二人もいるというかなり偉い人だったのです。
そんな彼と仕事の話で議論するのは一苦労です。


だって、いっつも忙しいスケジュールに割り込んでいかないといけないわけですから

彼と議論をした後に、次のスケジュールをフィックスできればそれがベストですが、それができない場合は秘書を通して日取りを決めることになります。
また、この秘書さんの一人が英語が話せなかったりするので、運良く(?)彼女が電話をとったりすると、こちらも交渉に一苦労。つたないチェコ語で「あー、うー」言いながら、ボスに取り次いでもらいます。
その秘書さんはとても気さくな方でしたが、仕事があまりに忙しいのか、途中でノイローゼになってしまいましたとさ....

なので、上記の事情から議論はもっぱらボスのオフィスでやることが多かったです。
その議論の様子も今考えると異常でしたが

秘書さんに
「お飲み物は何になさいますか?

と聞かれ、議論をしている間にお茶を持ってきてもらえる。そして側にはお茶請けが...

今考えると、かなり贅沢な環境ですね....。
そして議論が終わると、お昼ってことが多かったのでボスと一緒に近くのレストランへ。そして彼らは昼から飲むんですね~。
私が、

「なんだ、まーらいおん。ビール飲まないのか?小さいのでもいいからどうだ?」
って言われて「ノー」と言えない日本人の典型で
「じゃあ、ビール

と顔を赤くしながら午後にまた議論をしたもんです。
もちろん頭はフルに働くはずもありませんが

最初はビール小のものがビール大になるまでそれ程時間はかかりませんでした

そしてお昼ご飯を一緒に食べるといつもお代はボス持ち

たまにはと払おうとすると
「ん?まーらいおん、何しようとしてるんだ?


と冗談ではぐらかすような人でしたね~。そのうちに雰囲気を察して黙って奢ってもらう事を覚えました

ボスには研究のお金の工面でもお世話になりました

数え上げればきりないですが
■最初に貸してくれた2000コルナは返す必要がないと言われた
■CERNというスイスにある大きな研究所に2回も行かせてくれた
■いろいろな会議に参加するためのお金を工面してくれた
■コンピュータを買ってくれた
....
などなど

私は彼に拾ってもらって、チェコで大きくステップアップできたと思います。彼がいなかったら今の私はいなかったことでしょう

私が研究所を去る前、それまで私のような西側からのポスドクの応募者のいなかった研究所に、応募が来るようになったとボスが言っていました。うぬぼれかもしれません、それに一役買うことができたんではないかなあと思っています

本当にお世話になりました、ボス


