
今日は、昇天祭と呼ばれる祝日。カレンダーは赤く印がついていないが、そういった休みはバンクホリデーとか言われているらしく、少なくともイギリスでは公共機関だけが休みで、他のお店とかはやっているらしい(日本人の同僚のKさん談)。大学も普通に開いていたようだ。
Kさん:「まあでも、ここはフィンランドだし大学も休みじゃないかなあ。」
つまりフィンランド人の国民性から大学商店ひっくるめて全部休みではないかというのである。かくして、それはその通りでレストランやキオスク以外のお店は全部閉まっていた。日曜日にさえやっているスーパーマーケットも休みで、この祝日はより”強い”休みというわけだ。
Kさんの「フィンランドだし」という言葉は在留外国人の使いそうな典型的な言葉だと思う。かく言う私もチェコにいたときはこの言葉を頻発していた。「チェコ人だし...」「ここはチェコだから...」といった具合だ。習慣・文化の異なる国に来ているのだから、そう感じるのは当然だと思う。Kさんはイギリスに3年、ここフィンランドに2年いらっしゃったということで、そういったことをよく理解していると思うのですが、なんとなくチェコにいたときの私を思い出してしまいおかしくなってしまいました。
チェコに行ったのは今から3年前の秋。その年の夏、ヨーロッパは異常な大雨で川が氾濫し、多くの町が水浸しになり、私の滞在先であったプラハも大きな被害にあっていた。幸いにも、私が赴任したのは洪水から1ヶ月ぐらい経ったときで、洪水の事後処理は完全には終わっていないものの、多少はプラハも落ち着きを取り戻しつつある時であった(完全に復旧するまで半年ほどかかっただろうか)。渡航前は洪水の被害が研究所に及んでいたのかどうなのか全くわからなかったので(メールでは何も言ってこないので多分大丈夫なのだろうとふんではいたが)、少し不安であった。しかし行ってみると、研究所と住まいは高台にあり全く問題はなかった。それでも一言ぐらいメールで知らせて欲しいと思ったものだ。
私のチェコ生活は到着初日から不満だらけでスタートした。
研究所はプラハ郊外の北8区にあり、私の住まいは研究所から5分離れていないところにあった。住まいに初めて連れて行かれた時の印象は最悪である。案内された部屋は3畳か4畳くらいしかなく、そこにはところに狭しとベッド、机、冷蔵庫、そしてクローゼットが置いてある。殆どスペースのない部屋である。いきなり独房状態である。シャワーとトイレは、隣人の部屋と共用スペースの廊下を通ってしか行けない理解できない作りになっている(実は隣が日本人のポスドクで後に大いに救われることになるのだが)。しかも夜になると暗い。照明が日本のように蛍光灯ではなくて単に白色電球だからだ。このことは、チェコに限ったことではなく、ヨーロッパの多くの場所で言えることのように思える。フィンランドもそうで、フィンランド在留の日本人のブログでそう言ったことに対する不満を見たことがある。自分の部屋だけがそうならまだしも、仕事場の電気もかなり暗かった。夜は白色電球1つで勉強しているようなものだ。しかし、チェコ人はその中でも、黙々と研究しているのである。耐えられそうにない私はボスに行って蛍光灯に換えてもらった。事実、暗いところで勉強することに慣れていなかった私は、すぐに目が疲れてしまったのだ。今や研究所の電気はすべて蛍光灯に変わり、暗い中で仕事をする人はいなくなったが、なぜ皆不満に思わないのかと、その時プラハ在留1年半の(上記の)日本人FHさんと愚痴ったものである。
■私の働いていたチェコ科学アカデミー物理学研究所

環境の次に在留外国人が次にすぐに不満に思うのは食べ物のことだと思う。私は昼は研究所の食堂に行っていたのだが、ここの飯は安い代わりにかなりの割合でまずい。スープとメインディッシュで1セットだが、スープはなかなかうまいと思えるものに出会えない。
「どうだ?まーらいおん?うまいか?」
と聞かれ
「まずい」
と言えないのが日本人。
「あ、ああ..。うまいよ。」
毎日じゃがいものオンパレードと飲みきれない脂っこく塩っ辛いスープ。日本人で博士課程の学生のH君とたまに食べに行ったりしたが、さすがにその時には本音が出てしまう。
「毎日ジャガイモ食わせやがって!」
「成人病にする気か!」
■研究所のレストランの食事

不満はこれには留らないが、そう言った文句は初めてプラハに来た日本人にも言ってしまうものです。プラハの会議に来ていた日本人のISさんにプラハを案内している時にも「全くチェコっていうのは..」みたいな文句を散々言っていたらしく(自分ではそれほど意識していないが、彼はよく私が文句を言っていたと後に語っている)、
「まーらいおん君はそうやって言うけど、プラハを去ったら絶対、いい所だったとか懐かしくなったりすると思うよ。」
そうなのかなあ...。その時は納得しなかったが、かくしてそれは事実となった。
こうしたノスタルジーに浸るのは去った者だけの話であり、私がそこに住み続けていればきっと常識・文化の違いに不満を言っていたと思う。でも人間どこに行っても不満はあると思う。私はチェコから帰国して日本に半年研究員でいたのだが、給与的には不満だったので、チェコ人には帰る前に不満をこぼしていた。その時の同僚の一人の言葉は
「人間誰でも悩みや問題はあるものよ。でもそれを抱えながらでもやっていかないとね。」
当たり前のことのようだけど、彼らの言葉には重みがある。厳しい共産時代生きてきたからなのかもしれないが、とにかく私はそう感じるのだ。めげそうになった時、いつもではないけどこの言葉を思い出して奮い立つようにしている。今度チェコに行ったときに、その同僚にフィンランドで元気でやっている姿を見せてあげたいなあ。
■日本に帰ったときのお土産のどら焼きを頬張る同僚たち。「この黒いやつ(あんのこと)チェコでも同じような味のがある!」違ーう!これだからチェコ人ってのは...^^;

Kさん:「まあでも、ここはフィンランドだし大学も休みじゃないかなあ。」
つまりフィンランド人の国民性から大学商店ひっくるめて全部休みではないかというのである。かくして、それはその通りでレストランやキオスク以外のお店は全部閉まっていた。日曜日にさえやっているスーパーマーケットも休みで、この祝日はより”強い”休みというわけだ。
Kさんの「フィンランドだし」という言葉は在留外国人の使いそうな典型的な言葉だと思う。かく言う私もチェコにいたときはこの言葉を頻発していた。「チェコ人だし...」「ここはチェコだから...」といった具合だ。習慣・文化の異なる国に来ているのだから、そう感じるのは当然だと思う。Kさんはイギリスに3年、ここフィンランドに2年いらっしゃったということで、そういったことをよく理解していると思うのですが、なんとなくチェコにいたときの私を思い出してしまいおかしくなってしまいました。
チェコに行ったのは今から3年前の秋。その年の夏、ヨーロッパは異常な大雨で川が氾濫し、多くの町が水浸しになり、私の滞在先であったプラハも大きな被害にあっていた。幸いにも、私が赴任したのは洪水から1ヶ月ぐらい経ったときで、洪水の事後処理は完全には終わっていないものの、多少はプラハも落ち着きを取り戻しつつある時であった(完全に復旧するまで半年ほどかかっただろうか)。渡航前は洪水の被害が研究所に及んでいたのかどうなのか全くわからなかったので(メールでは何も言ってこないので多分大丈夫なのだろうとふんではいたが)、少し不安であった。しかし行ってみると、研究所と住まいは高台にあり全く問題はなかった。それでも一言ぐらいメールで知らせて欲しいと思ったものだ。
私のチェコ生活は到着初日から不満だらけでスタートした。
研究所はプラハ郊外の北8区にあり、私の住まいは研究所から5分離れていないところにあった。住まいに初めて連れて行かれた時の印象は最悪である。案内された部屋は3畳か4畳くらいしかなく、そこにはところに狭しとベッド、机、冷蔵庫、そしてクローゼットが置いてある。殆どスペースのない部屋である。いきなり独房状態である。シャワーとトイレは、隣人の部屋と共用スペースの廊下を通ってしか行けない理解できない作りになっている(実は隣が日本人のポスドクで後に大いに救われることになるのだが)。しかも夜になると暗い。照明が日本のように蛍光灯ではなくて単に白色電球だからだ。このことは、チェコに限ったことではなく、ヨーロッパの多くの場所で言えることのように思える。フィンランドもそうで、フィンランド在留の日本人のブログでそう言ったことに対する不満を見たことがある。自分の部屋だけがそうならまだしも、仕事場の電気もかなり暗かった。夜は白色電球1つで勉強しているようなものだ。しかし、チェコ人はその中でも、黙々と研究しているのである。耐えられそうにない私はボスに行って蛍光灯に換えてもらった。事実、暗いところで勉強することに慣れていなかった私は、すぐに目が疲れてしまったのだ。今や研究所の電気はすべて蛍光灯に変わり、暗い中で仕事をする人はいなくなったが、なぜ皆不満に思わないのかと、その時プラハ在留1年半の(上記の)日本人FHさんと愚痴ったものである。
■私の働いていたチェコ科学アカデミー物理学研究所

環境の次に在留外国人が次にすぐに不満に思うのは食べ物のことだと思う。私は昼は研究所の食堂に行っていたのだが、ここの飯は安い代わりにかなりの割合でまずい。スープとメインディッシュで1セットだが、スープはなかなかうまいと思えるものに出会えない。
「どうだ?まーらいおん?うまいか?」
と聞かれ
「まずい」
と言えないのが日本人。
「あ、ああ..。うまいよ。」
毎日じゃがいものオンパレードと飲みきれない脂っこく塩っ辛いスープ。日本人で博士課程の学生のH君とたまに食べに行ったりしたが、さすがにその時には本音が出てしまう。
「毎日ジャガイモ食わせやがって!」
「成人病にする気か!」
■研究所のレストランの食事

不満はこれには留らないが、そう言った文句は初めてプラハに来た日本人にも言ってしまうものです。プラハの会議に来ていた日本人のISさんにプラハを案内している時にも「全くチェコっていうのは..」みたいな文句を散々言っていたらしく(自分ではそれほど意識していないが、彼はよく私が文句を言っていたと後に語っている)、
「まーらいおん君はそうやって言うけど、プラハを去ったら絶対、いい所だったとか懐かしくなったりすると思うよ。」
そうなのかなあ...。その時は納得しなかったが、かくしてそれは事実となった。
こうしたノスタルジーに浸るのは去った者だけの話であり、私がそこに住み続けていればきっと常識・文化の違いに不満を言っていたと思う。でも人間どこに行っても不満はあると思う。私はチェコから帰国して日本に半年研究員でいたのだが、給与的には不満だったので、チェコ人には帰る前に不満をこぼしていた。その時の同僚の一人の言葉は
「人間誰でも悩みや問題はあるものよ。でもそれを抱えながらでもやっていかないとね。」
当たり前のことのようだけど、彼らの言葉には重みがある。厳しい共産時代生きてきたからなのかもしれないが、とにかく私はそう感じるのだ。めげそうになった時、いつもではないけどこの言葉を思い出して奮い立つようにしている。今度チェコに行ったときに、その同僚にフィンランドで元気でやっている姿を見せてあげたいなあ。
■日本に帰ったときのお土産のどら焼きを頬張る同僚たち。「この黒いやつ(あんのこと)チェコでも同じような味のがある!」違ーう!これだからチェコ人ってのは...^^;
