
このブログの左隣に、ドゥブナというロシアの地名の写真があるが、観光ガイドブックなどには載っていない、モスクワから北に120kmぐらいの所に位置する小さな町である。なんで、そんな町の写真があるかというと、ここには Joint Institute for Nuclear Research という研究所があり、その研究所で開催された会議に2回ほど出席したからである。
今日はボスとの長い昼飯の時間に、その研究所の話題が出た。彼は学生時代はソ連の大学にいたということもあって、ロシア事情は割りと詳しいし、ロシア人の知り合いが多い。我々二人のこの町に対する共通見解は
退屈な町
である。
そもそも、この町は第2次世界大戦のあとに作られたこの研究所とともに発展をしてきた。この研究所ができた経緯は、研究所のホームページに当たり障りなく書いてあるが、裏話として、この町は当時KGBの長官がスターリンの誕生日プレゼントに科学技術の町をプレゼントしよう言って作り始められたというのがある(チェコのボスがそう言っていたのだが)。

当時のその町の周辺は大変ぬかるんでいたらしく難工事だったようだが、ボルガ運河を使って、資材を運び作り上げたということだ。冷戦時代は、基本的には外国人が入れない町で、今でも研究所に入る時にはあらかじめ登録しておくか、身分証がないと入れない。ちなみにパソコンの持ち込みは基本的に禁止である。それは泥棒対策で研究所のパソコンと混同しないようにである。私は知らずに持ち込んで、出るときに大騒ぎになったことがある(上の写真はボルガ運河の写真)。

この研究所で開かれる会議に参加する研究者たちは、大抵このホテルドゥブナに入れられる。というより、ここ以外にたぶんホテルはないと思われる。ホテルはボルガ運河の前に面しており、景観はそれほど悪くない。レストランも併設されており、英語メニューもあって味も悪くない。出てくるのは多少遅いが...。

町のメインスクエアに出てご飯を食べても良い。ただし、その辺ではレストランは1か2軒。この他に「パラダイス」とかいうレストランが団地の1階にあって、かなりおいしい料理を振舞ってくれる。値段はドゥブナにしてはかなりはったと思う。メインスクエアには銀行もあって、ドルやユーロからルーブルに両替できる。こんな田舎だが、研究者が割りと来るせいかレートもそれほど悪くなかったと記憶している。また、ATMも近くにあってクレジットカードやキャッシュカードでお金が下ろせる。

JINRの中の理論物理学研究所は、ソ連の有名な理論物理学者の名を取ってボゴリューボフ研究所と呼ばれている。研究所の1階には、ボゴリューボフの写真が壁一面に張ってあり、彼の偉大さも感じると同時にプロパガンダめいたものを感じる。
現在、有名なロシアの物理学者の多くはアメリカや西ヨーロッパへ出てしまった。大きな問題は、ロシアにお金がないことだ。教授クラスの給与でも100ドル程度であるというなら、より給与の高い西側へ移るのも仕方ないのかもしれない。かつて、私もこの研究所のPDに応募して、オファーを貰ったことがある。確か給与は月に100ドルである。その町で生活はできるのかもしれないが、日本に帰るのはかなり苦しいといえる。最近、状況は多少改善したのか、昨年プラハの会議であったそこの学生は200ドルの給与を貰っているといった。しかし、西側レベルに追いつくにはまだまだ時間がかかりそうだ。
今年もその会議からお誘いがかかっている。というのも共同研究者がそこのスタッフだからだ。日本人が現在知っているだけでも3人参加するのは知っている。彼らはドゥブナは初めてなようだが、私は行くとすると3回目だ。今年はちょっと遠慮したいなあ....。あそこに1週間もいる事は今度は耐えられそうにない...。
今日はボスとの長い昼飯の時間に、その研究所の話題が出た。彼は学生時代はソ連の大学にいたということもあって、ロシア事情は割りと詳しいし、ロシア人の知り合いが多い。我々二人のこの町に対する共通見解は
退屈な町
である。
そもそも、この町は第2次世界大戦のあとに作られたこの研究所とともに発展をしてきた。この研究所ができた経緯は、研究所のホームページに当たり障りなく書いてあるが、裏話として、この町は当時KGBの長官がスターリンの誕生日プレゼントに科学技術の町をプレゼントしよう言って作り始められたというのがある(チェコのボスがそう言っていたのだが)。

当時のその町の周辺は大変ぬかるんでいたらしく難工事だったようだが、ボルガ運河を使って、資材を運び作り上げたということだ。冷戦時代は、基本的には外国人が入れない町で、今でも研究所に入る時にはあらかじめ登録しておくか、身分証がないと入れない。ちなみにパソコンの持ち込みは基本的に禁止である。それは泥棒対策で研究所のパソコンと混同しないようにである。私は知らずに持ち込んで、出るときに大騒ぎになったことがある(上の写真はボルガ運河の写真)。

この研究所で開かれる会議に参加する研究者たちは、大抵このホテルドゥブナに入れられる。というより、ここ以外にたぶんホテルはないと思われる。ホテルはボルガ運河の前に面しており、景観はそれほど悪くない。レストランも併設されており、英語メニューもあって味も悪くない。出てくるのは多少遅いが...。

町のメインスクエアに出てご飯を食べても良い。ただし、その辺ではレストランは1か2軒。この他に「パラダイス」とかいうレストランが団地の1階にあって、かなりおいしい料理を振舞ってくれる。値段はドゥブナにしてはかなりはったと思う。メインスクエアには銀行もあって、ドルやユーロからルーブルに両替できる。こんな田舎だが、研究者が割りと来るせいかレートもそれほど悪くなかったと記憶している。また、ATMも近くにあってクレジットカードやキャッシュカードでお金が下ろせる。

JINRの中の理論物理学研究所は、ソ連の有名な理論物理学者の名を取ってボゴリューボフ研究所と呼ばれている。研究所の1階には、ボゴリューボフの写真が壁一面に張ってあり、彼の偉大さも感じると同時にプロパガンダめいたものを感じる。
現在、有名なロシアの物理学者の多くはアメリカや西ヨーロッパへ出てしまった。大きな問題は、ロシアにお金がないことだ。教授クラスの給与でも100ドル程度であるというなら、より給与の高い西側へ移るのも仕方ないのかもしれない。かつて、私もこの研究所のPDに応募して、オファーを貰ったことがある。確か給与は月に100ドルである。その町で生活はできるのかもしれないが、日本に帰るのはかなり苦しいといえる。最近、状況は多少改善したのか、昨年プラハの会議であったそこの学生は200ドルの給与を貰っているといった。しかし、西側レベルに追いつくにはまだまだ時間がかかりそうだ。
今年もその会議からお誘いがかかっている。というのも共同研究者がそこのスタッフだからだ。日本人が現在知っているだけでも3人参加するのは知っている。彼らはドゥブナは初めてなようだが、私は行くとすると3回目だ。今年はちょっと遠慮したいなあ....。あそこに1週間もいる事は今度は耐えられそうにない...。