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海外に10年在住後帰国。2020年に男の子のたーくんを養子に迎えました。子育てと普段の生活を面白おかしくつづります。
「共産主義」と「西と東の間」
2005年05月18日 (水) | 編集 |
「共産主義」と「西と東の間」。この2つのキーワードは私がこれまでに住んだ2つの国に関係した言葉だ。今日はこれについて感じる出来事があったので書いておこうと思う。

私は、お昼ごはんは基本的に弁当を持って行って、ボスやボスのポスドクのAさんと一緒に食べることが多い。学食には別のグループのポスドクの連中とたまに行くが、高いうえにまずいのであまり行かない。

今週はボスがいないので、Aさんと二人で食事をしている。彼女はルーマニア出身でフィンランド滞在は5年目ぐらい。博士からヘルシンキの大学に来て学位を取得。そして現在はポスドクでもあり、大学の非常勤講師もやっている。彼女は明るいし、話の仕方もうまいので話をしていて楽しい。また英語もうまいので、英語の勉強にもなる。

でも、彼女と話をしていて少し雰囲気が暗くなるときがある。それは彼女の故郷のルーマニアのことを話題にしたときだ。今日も、

「いつかルーマニアに帰って、大学の職を探したりするの?」

と聞くと

「多分戻らないわ」

「ルーマニアのことはもう忘れちゃった」

「フィンランドはとても良い国だし、ここに永住したいな」

などと言う。ルーマニアにあまり良い思いではないのかもしれない。これは私の推測に過ぎないが「共産主義」に関係したことだ。チェコにいた時に、同僚から共産時代のいろいろな話を聞かされたことがある。もちろん、その話をするときのチェコ人の雰囲気は暗いものなる。そういった雰囲気を少し感じた私は「そうか。帰らないのか」という返事に留めた。本当のところはどうかわからないが、そんな質問しなければよかったなと今は思う。

彼女の年は20代後半。チャウシェスク政権が彼の処刑で終わったのが15年前ぐらいだから、小学生か中学生の時に民主化されたことになる。チャウシェスク政権は、個人崇拝と社会主義をごっちゃまぜにした政策を強いて、学校では彼の写真を教室ごとに飾り、生徒は通り過ぎるたびに敬礼か何かをしなければいけなったという。

Aさんは6月に永住のための申請をするという。今回で2度目の申請だそうだ。前回の申請は却下されたとのこと。理由は彼女の現在の職が永久職ではないからだ。

「これで駄目だったら、フィンランドを出てってやるんだから。2度と来るもんですか!」

と笑いながら言う。

「ここフィンランドはね、ロシア人が多いの。昔ロシアの領土だったこともあるからね。でもね、フィンランドにいたこともない純ロシア人が、彼らの祖父祖母が昔ここにいてフィンランド国籍を持っていたということだけで、すぐにフィンランド国籍をもらえてそれで大きな家ももらえるの。彼らは座っているだけ。私は全部一人でやって、それで永住権がもらえないってのに。」

フィンランドはかつて冷戦時代の西と東の狭間。それを垣間見た思いだった。チェコもかつてのそれである。チェコでの話はまたの機会に書こうと思う。


コメント
この記事へのコメント
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2005/05/20(金) 02:45:40 | | #[ 編集]
貴重なコメントありがとうございました。チェコでの経験も含めて少しずつこういう話をしていくつもりです。

さて、そちら様のURLが再び開けませんでしたの、失礼とは思いましたが、ここにお礼を書かせていただきました。そちらが復旧し次第コメントを再びさせていただきたいと思います。

2005/05/20(金) 05:05:21 | URL | まーらいおん #aIcUnOeo[ 編集]
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