
最初のエントリーからこのブログも
2周年!(びっくり)
ヘルシンキに来る少し前から始めたので、ヘルシンキ滞在も2年ということになりますね(むふ)
というか時が経つのは早いものだねー(あせ)
自分的には2年も経ったという実感はほとんどないですが(ぐらさん)
折角2周年ということで、この2年間をダイジェストで振り返ってみましょう(にや)
1日1クリック応援よろしくお願いします
(ほし)
最初のエントリーは2005年の3月18日。こんな短い分で始ってますね(ひょえ)
フィンランドのポスドクが決まってから、2ヶ月近く経ちました。このポスト、2年間でよさげなのですが、年も年なので日本のパーマネントを希望しておりました。んで、この間、日本の大学の公募の返事を待っていたのですが、色よい返事はもらえずめでたく(?)4月からフィンランド行きが決定しました。
昨年、チェコから日本に帰ってきて半年、再びヨーロッパに戻ることになりました。現在は、ビザの申請中でまだいつフィンランドに行けるかわかりません。遅くとも4月中旬と睨んでおります。
しかし、半年の滞在は本当に短かったなあ....。
というわけで、このブログではポスドク生活、研究、フィンランドでの生活についてつらつらと書いていく予定です。
そうそう、チェコから日本に戻ってきて半年しか経っていなかったんですよねえ(あせ)。考えてみると短い日本滞在だったなあ(かなし)
(ほし)
それで4月17日にヘルシンキに赴任しました(ぺんぎん)。ヘルシンキに着いた時の印象は
暗い
の一言だなあ(あせ)。何せ、日本でお花見を楽しんだ後の赴任だったので、緑もまだ見えないヘルシンキの暗い雰囲気に何か少し凹んだかもしれません(ぐらさん)
(ほし)
この後少し経ってから、ブログの雰囲気が変わってきたと思います。そもそも家族に読んでもらうために作ったものだったのですが、明らかに読者を意識して書く様になりました。だって、来る人が増えてきたんだもん・・・(きまずい)。このころ反響が大きかったのはこの記事ですかね(ひょえ)
(ほし)
6月に入って緑も少しずつ増えてきて、この頃の私はまだヘルシンキ生活を満喫しています(ひょえ)。町に出ては、写真を撮ったりしてブログにアップしていましたね。また、6月は初めてのお客さんが来た時でもありました。フィンランド以外の海外も初上陸しています。
(ほし)
6月から8月にかけてはチェコやドイツ、そしてフィヨルドに行ったりとかなり飛び回っている感じですね。自分で言うのもなんですがはしゃぎすぎです!(ひょえ)
(ほし)
そして9月以降、ヘルシンキの2年滞在の中でもっとも大きなアクシデントに見舞われます。それは
気管支炎!(げー)
9月19日の咳から始って、1,2月ぐらいまで苦しめられました。気管支炎の悪化と暗く寒くなっていく気候に精神的にもかなりやられていて、バスにも怖くて乗られない始末でした(げー)
ここまで悪化させたのは、自分の不養生も大きく原因していますが、フィンランドの医療事情にも苦しめられました。たらればを言えばきりがありませんが、
無理せず休め!
ってのが重要だと思いました、はい(しょぼ)
この頃はほんと皆さんにご心配おかけしました(ぺこ)
(ほし)
病気がよくなり始めたのは12月。この頃から少しずつ職場に復帰しています。ヘルシンキのつまらんクリスマスと正月を堪能してから、バルセロナに行きました。病気と気候の悪さが重なったのもあって、本当に太陽が見たくてうまいものも食いたかったので行ってしまいました(ひょえ)。
また、年明けはやたらと寒くて病みがちの私の体にはつらいばっかりでしたね。そんな中、タンペレのlapintieさんとー20度の中のオフ会をしていますね(ひょえ)
という訳で2005年のヘルシンキ滞在は、かなりつらいものになってしまいました(しょぼ)。病気のこともあってほとんど仕事が出来なかったし、個人的にはつらいことがあまりに多い滞在であったと記憶しています。それでも日本に帰って休養をとらなかったのは、意地になっていたのもあったでしょう。「ここで生活しているんだし、直して仕事に復帰するぞ!」と仕切りに思っていました(まじ)
さてさて、長くなってきたので続きはまた明日書きますね(ん)
1日1クリック応援よろしくお願いします
2周年!(びっくり)
ヘルシンキに来る少し前から始めたので、ヘルシンキ滞在も2年ということになりますね(むふ)
というか時が経つのは早いものだねー(あせ)
自分的には2年も経ったという実感はほとんどないですが(ぐらさん)
折角2周年ということで、この2年間をダイジェストで振り返ってみましょう(にや)


(ほし)
最初のエントリーは2005年の3月18日。こんな短い分で始ってますね(ひょえ)
フィンランドのポスドクが決まってから、2ヶ月近く経ちました。このポスト、2年間でよさげなのですが、年も年なので日本のパーマネントを希望しておりました。んで、この間、日本の大学の公募の返事を待っていたのですが、色よい返事はもらえずめでたく(?)4月からフィンランド行きが決定しました。
昨年、チェコから日本に帰ってきて半年、再びヨーロッパに戻ることになりました。現在は、ビザの申請中でまだいつフィンランドに行けるかわかりません。遅くとも4月中旬と睨んでおります。
しかし、半年の滞在は本当に短かったなあ....。
というわけで、このブログではポスドク生活、研究、フィンランドでの生活についてつらつらと書いていく予定です。
そうそう、チェコから日本に戻ってきて半年しか経っていなかったんですよねえ(あせ)。考えてみると短い日本滞在だったなあ(かなし)
(ほし)
それで4月17日にヘルシンキに赴任しました(ぺんぎん)。ヘルシンキに着いた時の印象は
暗い
の一言だなあ(あせ)。何せ、日本でお花見を楽しんだ後の赴任だったので、緑もまだ見えないヘルシンキの暗い雰囲気に何か少し凹んだかもしれません(ぐらさん)
(ほし)
この後少し経ってから、ブログの雰囲気が変わってきたと思います。そもそも家族に読んでもらうために作ったものだったのですが、明らかに読者を意識して書く様になりました。だって、来る人が増えてきたんだもん・・・(きまずい)。このころ反響が大きかったのはこの記事ですかね(ひょえ)
(ほし)
6月に入って緑も少しずつ増えてきて、この頃の私はまだヘルシンキ生活を満喫しています(ひょえ)。町に出ては、写真を撮ったりしてブログにアップしていましたね。また、6月は初めてのお客さんが来た時でもありました。フィンランド以外の海外も初上陸しています。
(ほし)
6月から8月にかけてはチェコやドイツ、そしてフィヨルドに行ったりとかなり飛び回っている感じですね。自分で言うのもなんですがはしゃぎすぎです!(ひょえ)
(ほし)
そして9月以降、ヘルシンキの2年滞在の中でもっとも大きなアクシデントに見舞われます。それは
気管支炎!(げー)
9月19日の咳から始って、1,2月ぐらいまで苦しめられました。気管支炎の悪化と暗く寒くなっていく気候に精神的にもかなりやられていて、バスにも怖くて乗られない始末でした(げー)
ここまで悪化させたのは、自分の不養生も大きく原因していますが、フィンランドの医療事情にも苦しめられました。たらればを言えばきりがありませんが、
無理せず休め!
ってのが重要だと思いました、はい(しょぼ)
この頃はほんと皆さんにご心配おかけしました(ぺこ)
(ほし)
病気がよくなり始めたのは12月。この頃から少しずつ職場に復帰しています。ヘルシンキの
また、年明けはやたらと寒くて病みがちの私の体にはつらいばっかりでしたね。そんな中、タンペレのlapintieさんとー20度の中のオフ会をしていますね(ひょえ)
という訳で2005年のヘルシンキ滞在は、かなりつらいものになってしまいました(しょぼ)。病気のこともあってほとんど仕事が出来なかったし、個人的にはつらいことがあまりに多い滞在であったと記憶しています。それでも日本に帰って休養をとらなかったのは、意地になっていたのもあったでしょう。「ここで生活しているんだし、直して仕事に復帰するぞ!」と仕切りに思っていました(まじ)
さてさて、長くなってきたので続きはまた明日書きますね(ん)

